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日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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江戸幕府の成立と幕府の体制(家康~家光)

江戸時代 日本史の流れ

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江戸時代は、1603年~1868年まで260年以上も続きました。

始まりは徳川家康征夷大将軍になった1603年、終末は1867年の大政奉還までが江戸時代だと一般的に言われています。

 

この江戸幕府は、鎌倉・室町幕府と続く日本で最後の武家政権となります。

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徳川家康の天下統一と江戸幕府の始まりの流れ

江戸時代 戦国時代 日本史の流れ

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豊臣秀吉の死後頭角を現したのが、徳川家康です。

 

徳川家康織田信長の盟友であったため、一時期は信長の後継者を狙う豊臣秀吉小牧・長久手の戦いで、合戦を繰り広げたこともありました。しかし、秀吉が関白に就任し、五大老(重要政務を行う役職)の一員として、秀吉の味方となっています。

 

以前の記事で書いた通り豊臣秀吉は晩年、朝鮮出兵を行っていました。

秀吉の連合軍は、李舜臣率いる軍隊に苦戦を強いられ、最終的に秀吉の病死によって撤退することになりますが、この朝鮮出兵によって豊臣政権が弱体化し、さらに、秀吉の武将の間で対立が生じました。

 

この対立がのちの関ヶ原の戦い火種となっていきます。

 

それでは、徳川家康江戸幕府を開くまでの流れを、豊臣秀吉に臣従したあたりから、書いていきましょう。

 

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豊臣秀吉の天下統一までの流れ

日本史の流れ 戦国時代

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豊臣秀吉と言えば、農民の出でありながら、織田信長のなしえなかった天下統一を果たした出世人として有名です。

 

歴史の教科書では、信長が本能寺にて倒れた後、天下統一事業を引き継いだと書かれています。では、秀吉は本能寺の変後、どのようにして天下統一を果たしていったのでしょうか?

 

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治承・寿永の乱(源平合戦)に参加した人たちの思惑を調べてみる

平安時代 鎌倉時代

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1179年に発生した治承三年の政変。これに伴い、後白河院の第3皇子以仁王が挙兵。諸国に令旨(王の命令)を出し様々な勢力も挙兵していきます。

 

  • なぜ反平氏に至ったのか?
  • なぜ以仁王の令旨に従ったのか??

 

事情が分かれば源平合戦に発展した理由も見えてくるはず。そんな訳で源平合戦に参加した人たちの思惑を調べてみようと思います。

 

治承・寿永の乱に参加したのが源平のみの勢力だけでなかったため、源平合戦は不適切という言い分もあるようだが、今回は分かりやすいので源平合戦という呼称も使っていく。

 

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治承三年の政変までの流れを調べてみる

平安時代

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平氏が滅亡したとして有名な壇ノ浦の戦いは、源平の間で富士川の戦い倶利伽羅峠の戦いなど何度も起こった争乱の果てに起こったものです。これらの戦いは総称して治承・寿永の乱と呼ばれています。元々、治承・寿永の乱クーデターを起こした平清盛平氏を討とうと始まったのがきっかけです。

 

今回は平氏らがクーデター(=治承三年の政変)を起こすまでの流れを分かりやすくまとめていきたいと思います。

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これまでの徴税と土地制度を変えた太閤検地

戦国時代

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これまでの荘園公領制は、複雑な支配関係がありました。しかし、鎌倉時代になると、地頭たちによる浸食を受けて、室町時代には守護大名がその権限を拡大して支配力を強めていきました。

 

応仁の乱後、戦国大名が国を治めるようになると、従来の重層的な土地制度が残る税収問題があり、新しく税を決めるのに田畑の広さと収穫量を調査する必要がありました。

 

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戦国時代の大名と家臣との関係

戦国時代

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応仁の乱以降、下剋上の風潮が高まっていき、守護大名の代わりに国を治めていた守護代や国人達が守護大名に代わり国を治めようと独立して戦国大名として成長していきました。

 

この時代、戦国大名たちが自分たちで作り上げた支配地を領国と呼び、その支配体制を領国支配と呼びます。

 

戦国大名による領国運営の私のイメージは、

 

 

と言う、イメージを持っていました。

しかし、当時のことを調べていくと、実際は全く違うことが分かりました。

今回は、そんな戦国時代の大名と家臣の関係を書いていきたいと思います。

 

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