日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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自由民権運動の中心人物であった板垣退助が近代国家形成のきっかけを作る

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自由民権運動大政奉還後の明治維新という政治制度の変化の中で、国の民である国民の自由と権利を保障するための政治的な取り組みのことを言います。
 
自由民権運動は当時、薩摩藩長州藩などの特定の藩の出身者が政治を行っていることを批判して行われた運動で、政治は国民に対してオープンであるべきで、国民の選んだ議員に政治を任せるべきだという主張を基にして行われました。

明治の文明開化で変わった日本の生活様式

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大政奉還によって政権が徳川幕府から天皇に変換されました。

このような政治の変化により、文化にも影響を及ぼすことになります。その文化的な変化が文明開化と呼ばれているものです。

 

江戸時代が終わり、明治政府がスタートすると、日本人の生活は西洋を意識したものへと変化していくことになりました。このような文明開化は、西洋の文明を積極的に日本に取り入れようとした動きで、そのことによって、日本は社会のシステムを急速に近代化させることになったのです。

 

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藤原氏による権力の掌握を見ると摂関政治がわかりやすくなる

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平安時代のイメージとして思い浮かぶのは、

  • 貴族社会で華やかな時代
  • 国風文化の時代
  • 合戦のない平和な時代

平安末期には、源平合戦などの争いが起きるのですが、一般的には上記のようなイメージを持っている人が多いのではないのでしょうか?

 

武家政権の時代に比べると、激しい武力衝突は多くはありませんが、平安時代にも権力をめぐる壮絶な争いはありました。

 

この権力争いに勝ち、貴族政治の頂点にたったのが藤原氏で政治を裏で動かしていました。平安時代と言えば摂関政治院政ですが、藤原氏の権力掌握をたどるとおのずと摂関政治が見えてきます。

 

平安時代に権力を持った藤原氏は、どのような形で権力を掌握していったのでしょうか?

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武士初の太政大臣となった平清盛が目指したものは?

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平安時代は、貴族社会が華やかな社会を作っていました。

しかし、平安時代半ばの10世紀ころから、平将門の乱前九年の役後三年の役などの戦乱が相次いで起こります。

 

こうした武力行使で物事を要求したりする勢力が現れ始めて平安の貴族たちは強い不安感を抱くようになります。

 

朝廷に刃向う戦乱が起こるたびに、貴族たちはそれを鎮圧するために武士の力を借りていくようになります。朝廷や貴族ができなかった武力による征伐を武士が担う事は、だんだんと政界においてその存在が大きくなることを意味します。 

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徳川家康も教訓にした、平清盛の最大の失敗!?

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保元の乱の後、武士勢力が台頭してきました。その武士勢力の2大勢力平氏と源氏で、いわばライバルでした。

最初に頭角を現してい来るのが平清盛率いる平氏一門。しかし、清盛はこの時、自らを滅亡へと追いやるミスを犯します。源氏の嫡男である源頼朝を処刑しなかったことです。

 

源頼朝を生かしたことで、やがて平氏一門を滅ぼす事になります。

 

この平清盛の最大の失敗である源頼朝の処遇について保元の乱平治の乱をおさらいしながら見ていきましょう。

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江戸時代の物価と庶民の暮らし

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昔の物価を比較する事はとても難しいことです。

 

当時、流通していた商品やサービスを単純に現代の価格で直すことは到底不可能であり、専門家ですら様々な条件を付けて【一両】をいくらとする設定をします。 その設定額も、専門家により一両が4万円だったり、30万円だったりかなりの開きがあります。

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