日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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律令政治で地方に作られた国府とは?

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飛鳥時代後期から平安時代初期にかけて日本は律令国でした。

律令国家とは、【全ての国民と国土は、天皇の支配を受ける】とおり、天皇を中心とした中央集権を目指した政治体制でした。

 

中大兄皇子蘇我氏を倒して、大化の改新によって律令政治が始まったとされていましたが、最近では大化の改新後徐々に中央政権化が進んでいったとされています。

701年に、日本初の律令法典でもある大宝律令が施行されました。これによって、日本と言う国の名前が定められて、藤原京から平城京へ都を移して、本格的な律令都市が建設されることになります。

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大国イギリスと小国日本が結んだ日英同盟の裏事情

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日清戦争の結果、極東地域における日本の発言力が大幅に上がりました。

その一方で、清の弱体化により欧州各国が東アジア進出をもくろんでいました。

下関条約へのロシア、フランス、ドイツなどによる日本への三国干渉などに代表されるようにその動きは露骨ともいえるものでした。

 

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絵で見る・律令制への道【蘇我氏の台頭】

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大化の改新のきっかけとしてお馴染みの蘇我氏律令制という歴史的に見ても重要な制度が作られた背景を語る時、乙巳の変大化の改新白村江の戦いは避けて通れません。

 

そんな一連の政治改革に至った背景は近隣諸国の事情も重なって結構複雑だったりしますので、今回はイラスト付きで改めて紹介していきます。相変わらず流れ優先で補完している箇所があるのでご注意下さい。全部で3回の予定です。

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日本の首都が東京ではなく広島だった時期があった!?

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日清戦争は、朝鮮に対する宗主国として立場を主張する清とその宗主国を否定して朝鮮から清を排除しようとする日本との対立が主な原因です。

 

そして、その主戦場は朝鮮半島とその周辺海域になると誰もが予測していました。

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なぜ日本は不利と言われた日清戦争と日露戦争に勝てたのか?

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明治維新から20年あまり、富国強兵により急速に国際化を進めてきた日本にとっては、近隣諸国との良好な関係構築は急ぎの課題でした。

 

しかし、周囲の国は政治的に不安定な朝鮮半島をめぐり日本と利権を争っていた大国・清や北方に広大な国ロシアが領土拡大を狙っており、当時の日本の立場は困難な状況にいました。

 

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日本での最も古い国技・相撲の歴史について

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わが国での相撲と言う競技は【国技】となっていますが、今のような土俵上で行われる形式が日本独自であることからそう呼ばれているそうです。

 

相撲のように人が組合い、力比べすると言う意味では、人間の本能的なものですから、日本だけではなく【相撲のようなもの】は、世界的にみてもたくさんあるようです。

 

今から5000年前にあったバビロニアの遺跡には、ましみたいなものを締めた男が四つに組んでいる青銅の人形が出土しています。また、エジプトの壁画にも相撲を取っている図が確認されています。

 

古代のヨーロッパだけではなく、東洋に目を向けてみても、法華経安楽行品あんらくぎょうほん)には『相撲』の記載があり、涅槃経ねはんぎょう)には『力士』と書かれています。高句麗時代の古墳の壁画にも、相撲の図が描かれているようです。

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