日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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明治の初めに日本で一番人口が多いのは、東京ではなく新潟だった!?

現在の日本の人口分布は、東京を中心とした関東圏に一極集中しています。 しかし、江戸時代には300近い藩が全国にあることから分かるように、かつての日本は今よりも地方の方が活気がありました。

幕末に起きた経済面での大混乱とは??

大きく政治制度が変わった明治維新。そのきっかけが黒船来航だったのは有名な話です。ですが、黒船来航がすぐに攘夷へと繋がった訳ではありません。 態々生死をかけて既存の体制を壊すその裏には大抵「貧困ゆえの食糧不足」や「生死にかかわる弾圧」なんかが…

東京は昔江戸だったことを思わせる今でも残る地名の由来

日々何気なく生活しているけど、改めて東京の地名をみると江戸を感じる名前は数多くあります。 今回の記事で、普段何気なく使っている東京の地名から江戸時代を思わせる名前を紹介していきます。

明治維新の英雄、西郷隆盛はなぜ西南戦争に巻き込まれたのか?

2018年のNHK大河ドラマが西郷どん(セゴドン)に決まりました。 ちなみに、上記の写真は一説に要よると西郷隆盛でない説があるようです。

せっかく暗記しても学説が変われば『歴史を覚えても意味がない』と考えている方に

当ブログは、タイトル通り少しでも日本史が好きなってくれればと言う思いでつけたものなので、歴史に苦手意識を持っている人が興味を持って学ぶきっかけができればと思い今回の記事を書かせてもらいます。

わかりやすい徳川幕府15代将軍のまとめ

江戸時代は、263年に渡り15人の将軍が日本を治めていました。 全てを覚えるのは難しいかもしれませんが、簡単に15人の将軍をまとめてみました。

自由民権運動の激化と国会開設

大隈重信と伊藤博文の対立 全国の民権派が集まり、結成された愛国社は、国会期成同盟と改名されて国会開設の要求をしますが却下されます。 中には、国会開設を求める参議もいました。その中の一人が、大隈重信です。 大久保利通の暗殺後、政府の中心は大蔵関…

日本史を学ぶ意味を教えてくれる東大の日本史の問題

歴史の試験勉強を、試験前に一夜漬けで丸暗記をした記憶を思い出す人も多いことでしょう。 1603年、徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開く、と言うように当時は必死に覚えたことでしょう。そんな中で、【こんなこと覚えて社会に役に立つのか?】と言う…

日本の城は何を持って名城と呼ばれるのか?

近代城郭の多くは、【名城】と形容されます。 もちろん、名城かそうでないかの明確な基準などあるわけではありません。 城と言うのは軍事的な構造物ですから、本来であればその防衛力や軍事的工夫で評価されるべきかもしれません。しかし、私たち素人が、そ…

古代の天皇、天智天皇・天武天皇・聖武天皇・桓武天皇は、それぞれ何をした人?

日本史を勉強していると必ずと言っていいほど、天智天皇・天武天皇・聖武天皇・桓武天皇という名前がでてきます。 歴史では、この四天皇がこのような政策をしました。など、書かれていますが、誰がどの順番でどのような事をしたのかが、なかなか覚えづらくも…

日本の城には石垣はあっても、石造りの城壁はなかったのはなぜ?

世界の古くからの文明での大きな建造物の主流は石造りでした。 一方でわが国では、東大寺のような巨大な建築物でも木造が主流です。日本の城でも石は使われていますが、土台部分の石垣だけで建物自体は木か土を練ったものでした。 これは、日本には加工しや…

鎖国政策中の江戸時代の日本でも数学力は世界トップレベルだった!?

現代でもわが国の数学は、トップクラスでたくさんの数学者がいます。 現在、私たちが学習してきた数学は、明治時代にヨーロッパから入ってきたものです。 では、それ以前の時代にはたいした数学知識がなかったのか?思いますが、違うようです。 実はわが国日…

地形による城の形態の違い

※画像は裏辺研究所から転載しました。 前回は城の移り変わりを書いてきました。その中で、山城の事を少し触れましたが、今回は、地形による城の形態について少し掘り下げて書いていきたいと思います。 rekishi-note.hatenablog.com この話をする前に、押さえ…

日本での城の起源とその移り変わり

城の起源は弥生時代にさかのぼります。 人々が集落を作り、耕地や作物を他社から守るために考えたことから始まります。集落全体を堀で囲んだ【環濠集落】や、丘などの上に集落を作った【高地性集落】がその起源とされています。

軍事的に必ずしも必要でなかった天守が作られるようになった理由

私たちが【城】と聞くと天守などの目立った部分をイメージします。 実際に城と言う字を大漢和辞典で調べてみると… 城とは、敵を防ぐために建てられた高層建築物 と書いてあり、やはり【城=天守】と言うイメージは強いようです。

日本の城と世界の城の違い

日本の城は、天守を初めとする世界には類を見ない独特の特徴があります。 古代から仁徳天皇陵や東大寺、また姫路城に代表される世界に誇る建造物はたくさんあります。 近代以前の建築や巨大建造物を日本と世界を比べてみると、大きな違いあります。

日本人の食文化の歴史 ~日本人の伝統的な食文化の移り変わり~

平成25年12月4日、【和食】がユネスコ無形文化遺産に登録される事に決まり、現在世界中で日本食がブームになっています。 無形文化遺産とは、伝統工芸技術などの形のない文化で、土地の歴史や生活風習などと密接に関わっているモノのことです。 現在日本から…

日本の学校制度の歴史

現在わが国の義務教育は、小学校6年・中学校3年の『三・六制』が採用されています。高校・大学を合わせた学校制度の事を『六・三・三・四制』と呼ばれています。 日本国憲法の第26条第2項に 【すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普…

江戸時代の識字率は、世界のどこの国を見てもダントツに高かった!!

江戸時代の鎖国政策により、世界的な産業革命に遅れをとった我が国ですが、明治時代の富国強兵により瞬く間に世界に追い付き、経済力でもヨーロッパ諸国に肩を並べ、軍事面では、日清、日露戦争に勝利するまでの力をつけました。 rekishi-note.hatenablog.co…

実は早馬より早駕籠の方が早かった!?

江戸時代の交通手段は、自分の足で歩くか、駕籠に乗るか、馬に乗るかでした。 この移動手段でどれが一番早いかと聞かれたら、ほとんどの人は馬と答えることでしょう。しかし、人を乗せて長距離を移動すると考えた場合は、単純に早駕籠よりも馬の方が早いとは…

日露戦争勝利による日本の影響

1904年、日本とロシア帝国は、朝鮮と満州の支配権をめぐる対立から争いが起き、日露戦争に発展します。その主戦場は、朝鮮半島と満州南部、日本海にも及びました。 1905年9月5日にアメリカの仲介により日本とロシアは、ポーツマス条約を締結することで講和を…

わかりやすい日本のお金の歴史のながれ

現在の日本のお金は、4種類の紙幣と5種類の硬貨があり私たちは当たり前のように使用していますが、ここに至るまで長い歴史をお金と言うものは歩んできました。 古代のお金の代表格に、和同開珎や天正小判と言う名前が思い浮かびますが、日本で最初のお金が誕…

日本がアジアの大国清と戦った日清戦争の簡単な流れと下関条約

1894年~1895年まで行われたアジアの大国である清との戦い、それが日清戦争です。 アジアの外交政策において朝鮮半島は、重要な位置を占めていました。 朝鮮は長い間、中国(清)の影響下にありましたが、そこを足掛かりに日本は、大陸に進出したいと考えてい…

意外と多い!?乱世に生きた歴史上の女武将達!!

今更ながら、2017年の大河ドラマは【おんな城主 直虎】で、井伊直虎が題材のドラマです。ここで注目となったのは、井伊直虎と言う人物が女性だったという事。大河の始まる直前に、直虎は実は男だったと言う説が出てきて話題にもなりましたが、大河ドラマの方…

戦国一数奇な運命を辿った浅井家三女・江は、今上天皇の先祖だった!?

1567年、北近江の大名浅井長政は、織田信長の妹である市と婚姻することにより、織田家と同盟を結びました。 その浅井長政と信長の妹・市の間には、3人の娘が生まれました。 娘の名は、茶々・初・江。 天下統一事業を進めた織田信長の姪として、2度の大名家の…

明治初期の国際問題 【不平等条約改正と征韓論~西南戦争まで】

明治政府の外交課題は、幕末から引き継がれていた不平等条約の改正が最重要課題でした。 そのため、1871年(明治4年)に岩倉具視を大使として、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らの岩倉使節団がアメリカやヨーロッパに派遣されました。

明治新政府による改革と中央集権体制の強化

明治政府が真っ先に取り組んだのが、天皇を中心とする政権体制を固める事でした。 まずは、諸藩に領地と領民を天皇に返す版籍奉還で、薩長土肥が手本を見せて行いました。旧藩主たちには石高の代わりに、家禄(給料)を与えて引き続き藩政を任せました。 しか…

理想的なエコな暮らしは江戸に学べ!

近年、環境問題は深刻なものとなり、エコロジー、リサイクルなどは私たちの生活のなかでも当たり前になってきました。 そんな環境について意識が高まってきた今日この頃、現代のわたしたちの見本となるのが江戸の暮らしです。

日本社会を変えた世界の【産業革命】

「産業革命」は、技術の発展や資本家と労働者の関係など新しい社会を作りだしました。 イギリスを皮切りに起こった【産業革命】は、徐々に世界を大きく変えていくことになります。

自由民権運動の中心人物であった板垣退助が近代国家形成のきっかけを作る

自由民権運動は大政奉還後の明治維新という政治制度の変化の中で、国の民である国民の自由と権利を保障するための政治的な取り組みのことを言います。 自由民権運動は当時、薩摩藩や長州藩などの特定の藩の出身者が政治を行っていることを批判して行われた運…