日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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江戸時代にも介護保険制度があった!?

現在、我が国では介護保険制度と言う、要介護状態の人が尊厳を保持して、自立した日常生活を行えるように必要な医療サービスや福祉サービス受けられるよう、認定を受けた人が給付を受けられるようになっています。

徳川家康は独特の経済感覚で子孫たちに莫大な遺産を残した

一昔前、徳川埋蔵金を探す番組がありましたが、万年財政不足だった幕府にお金がったのでしょうか??

北条早雲が育てた小田原の城下町

下剋上と言えば『北条早雲』で、一介の素浪人から相模一帯を治めるまでにのし上がった、五代100年続いた【後北条】の祖として、戦国時代のきっかけを作ったとして余りにも有名な話です。 rekishi-note.hatenablog.com もう一人、下剋上の典型的な人物として…

鎖国時代、開国思想を説いていたパイオニアがいた?

開国と言えばペリーの外交圧力に屈して・・・というイメージもありますが、江戸時代・鎖国体制下の日本国内においても開国の必要を訴えていた人物がいたそうです。 それが本多利明という人物。 先見の明のあったこの『本多利明』という人物が何をしたかにつ…

織田信長による楽市楽座の目的とは?

1541年に土岐頼芸が斉藤道三に追放されて以来、美濃国は斉藤家が支配していました。 織田信長の父である信秀も1547年に美濃を攻めましたが、稲葉山城の鉄壁の守りの前に敗れています。和睦の際に、斉藤道三の娘・帰蝶と織田家嫡男・信長の婚姻が決定しました…

室町時代を将軍と共に流れを追っていく

室町時代は、室町幕府滅亡後に後醍醐天皇による建武の新政に反発した足利尊氏が京都で開いた武家政権の事を指します。名前の由来は、三代目将軍足利義満が創設した花の御所(室町殿)から来ています。 rekishi-note.hatenablog.com 1338年~1573年に渡る約240…

現代でもいけてる歴史上のイケメン人物

いつの世も女性の心をとらえるイケメンたち… この長い日本の歴史の中でも、現代までそのモテモテエピソードが伝わっている人物がたくさんいます。そこで今回は、歴史上のイケメン人物を紹介してい見たいと思います。

人生まだまだ、歴史上の人物から学ぶ40代からの成功術!!

40代は人生の折り返し地点でもあり、人生に迷いが生じる時期でもあります。 これから立ちはだかるであろう人生の壁や困難も自分の力で乗り越えなければいけません。歴史上の人物を見ても様々な壁や困難を乗り越えて、成功を手に入れてきました。 そんな先人…

そもそも帝国主義が蔓延した理由って何??

明治以降、立て続けに起こった複数の戦争は『帝国主義』と呼ばれる思想・政策が日本含む多くの国で推し進められてきたことと無関係ではありません。 どういった状況が帝国主義に繋がっていったのかを調べていこうと思います。

江戸時代の服装は実はあれだった!!

徳川幕府の徹底した管理統治の下、始まった江戸時代ですが、5代将軍・徳川綱吉を境にゆっくりと変わり始めます。 幕府の慢性的な財政難で、少しづつ着実に徳川幕府は衰退していくのです。 それでも、約260年続いた江戸幕府は、前期・中期・後期と分けられま…

現代ではお目にかかれない【むかしの職業】

今もたくさんの職業がありますが、江戸時代でもたくさんの職業がありました。 しかし、現代ではちょっと信じられない昔の職業もあり、チョットに興味を持ったので調べてみました。

第二次世界大戦までの流れ

日本史だけで見ても第二次世界大戦の全体像は掴めませんので、世界史視点・日本史視点どちらからでも分かるように表にまとめてみています。いずれサイトマップとしても利用できるようにしていく予定です。

権益強化を狙い日本も参戦した第一次世界大戦

第一次世界大戦を始める前に、1914年のサラエボ事件から1919年のベルサイユ条約までの年表を書いておきますので、こちらを参考しながら読んだ方が分かりやすいかもしれません。 年 出 来 事 1914年6月 サラエヴォ事件 オーストリアがセルビアに宣戦布告 ロシ…

大正政変と第一次護憲運動

明治政府への不満 明治後半の資本主義発展と共に労働問題が深刻化して行きます。 明治30年代初めに、鉄鋼や鉄道事業などで労働組合が作られ、労働争議が行われるようになった事から、政府は1900年(明治33)に労働者の団結を制限する治安警察法を公布します。 …

韓国併合と満州進出

日本の韓国支配 日本は日露戦争開戦直前の1904年に、韓国独立と領土保全の口実として日韓議定書を韓国政府と調印しました。そして、韓国の外交権を制限して、財政に対する日本の指導権を確保するために第一次日韓協約を締結します。 これは、韓国を保護国化…

日露戦争の負担による国民の不満

戦費負担に不満が爆発した国民 日露戦争に勝利しましたが、日本側も満身創痍で余裕の勝利とは行きませんでした。 その戦費の国民負担は甚大で、限界を超えていました。 一方ロシアでも、革命の機運が高まり国内の政治は危機的状態にありました。 ヨーロッパ…

太平洋戦争時には不死身の日本兵がいた!?

戦争時には畏怖や尊敬の念を込めて多くの二つ名をつけられる人物が出てきます。『独眼竜』『鬼島津』など、戦国武将たちによく二つ名がつけられていますよね。 そんな様々な二つ名の中でも特に異彩を放った異名を持つのが舩坂 弘氏です。 不死身の分隊長、生…

世界が驚いた小国日本による日露戦争の勝利

朝鮮半島と満州をめぐりロシアとの緊張感が高まった日本でしたが、1903年から日露交渉が進められてきまいした。 交渉の中、日本国内ではロシアとの交戦論が強まり、近衛篤麿が対露同志会を組織して、ロシアに対する強固な外交を主張します。一方で、交戦論に…

忍者にはコミュ力が必要だった!?

忍者といえば、黒い忍び頭巾を被り、鎖雄子をのぞかせた筒袖を着て、袴をはき、忍者刀を帯びるといった、いわゆる忍者装束を着て十字を切り、印を結び、呪文を唱えさえすれば、たちまち煙とともに消え失せたり、あるいはヘビやガマなどに変化すると言ったイ…

アンガウル島の戦い

不死身と名高い舩坂弘氏を紹介する予定だったのですが・・・ 舩坂氏の所属する部隊が置かれた場所で「なぜ戦闘が行われていたのか?」「どんな戦いだったのか?」 人物伝をお話しする前に理解していた方がより伝わりやすいと考えましたので、今回は『アンガ…

現在の47都道府県は、実は再編途中だった!?

私たちの日本では、明治時代から47都道府県に区分されています。これらが定められたのは、明治初期に行われた廃藩置県によるものです。 rekishi-note.hatenablog.com これは、新政府による中央集権化を図るために、大久保利通が推し進めてきました。 当初は…

実はかなり有能だった有名戦国大名の息子たち

戦国時代に父があまりにも偉大過ぎて過小評価されている超有名な戦国武将の息子たちですが、実はかなり優秀な武将でした。 今回は、そんな父の陰で有能さがイマイチ評価されていない戦国大名の息子たちにスポットを当ててみたいと思います。

なぜ、源頼朝には【の】がついているのに徳川家康には【の】が付いていないのか?

蘇我入鹿 そがのいるか 藤原道長 ふじわらのみちなが 源 頼朝 みなもとのよりとも 足利尊氏 あしかがたかうじ 織田信長 おだのぶなが 徳川家康 とくがわいえやす 上記の人物は皆さんもよく知っている各時代の有名人の名前です。 6人のルビを比べてみると、上…

ロシア帝国とのにらみ合い

日本はロシアの南下政策に備えて軍備拡張を進めてきました。それと同時に、中国・朝鮮への侵攻を進めていく事で列強と並んで帝国主義を形成していきます。 日清戦争後の三国干渉を経て政府は、対ロシア戦を想定して軍備拡張を中心とする戦後経営計画を立てて…

ロシア・フランス・ドイツによる三国干渉

日清戦争で勝利をした日本は、1895年に下関条約を締結し清国と講和をしました。 条約の内容は、清国は朝鮮を完全な独立国として認める事、遼東半島及び台湾・澎湖諸島を日本に譲る事、賠償金二億両(約3億1000万)を日本に支払うことを盛り込み、さらに、沙市…

朝鮮をめぐり日本と清が激突する日清戦争

日本は日朝修好条規の締結で朝鮮を開国させ、大陸進出の足掛かりを得ました。 rekishi-note.hatenablog.com 以降、朝鮮半島は二度にわたる日清代理戦争の舞台となります。

40年がかりの不平等条約の改正

不平等条約の改正交渉 江戸幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約の領事裁判権撤廃と関税自主権の回復は、富国強兵を目指す明治政府の重要な外交課題となっていました。 rekishi-note.hatenablog.com

憲法作成と帝国議会の成立

ドイツを参考にした立憲君主制 1881年に政府が出した国会開設の詔と同時に憲法制定の準備にかかりました。 明治十四年の政変によって、天皇と政府に強い権限与える立憲君主制の方針を固めた政府は、1882年に伊藤博文らをヨーロッパに派遣をして憲法の調査に…

インフレ解消を目指した松方財政と近代日本型資本主義の始まり

インフレの解消を目指した松方財政 明治の始まりから頻発していた農民一揆や士族の反乱、自由民権運動の対応に追われていた政府は、早くも財政問題に直面します。

全国に波及した国会開設要求

政府の内紛をきっかけに明治十四年の政変 士族の権利を求めた自由民権運動は一時下火となっていましたが、国会開設を求める運動として再加熱して、地主などの地方の有力者や都市の商工業者も巻き込んで全国に拡大していきました。