日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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長州藩・高杉晋作のクーデターと薩摩藩の討幕への転換

高杉晋作のクーデターと長州藩の討幕の転換 長州藩内の保守派による尊攘派弾圧の前にやむなく九州へと逃れた高杉晋作でしたが、幕府の征長軍が撤退すると、ただちに長州へ帰還します。 戦わずして幕府に降伏した保守派に反旗を翻し、藩の実権を取り戻すべく…

禁門の変と第一次長州征伐

長州藩と言うと尊攘や討幕のイメージが強いですが、当初は【朝廷に忠節・幕府に信義、先祖に孝道】の三大キャッチフレーズを掲げて、過激な対立構造とは一線を画していました。

島津久光による文久の改革と八月十八日の政変

1862年(文久2年)に上洛した島津久光は、朝廷への公武合体推進するために働きかけます。この働きかけが実り、久光は勅使を擁して江戸に下り幕政改革を求めます。 幕府は勅使を受け入れ、幕政改革を行います。この一連の改革を文久の改革と呼ばれています。

テロの温床と化した京都の警察組織【新撰組】の誕生

安政の大獄以降、過激な攘夷論は下級武士の達の間で特にくすぶり続けていました。 1859年に条約通り、横浜、箱館、長崎が開港されたよ翌月には、横浜で水戸藩士たちによるロシア人士官襲撃事件が起きます。この事件をきっかけに、外国人襲撃事件が各地で起こ…

桜田門外の変と坂下門外の変による幕府権威の失墜

大老・井伊直弼による通商条約の勝手な調印と将軍後継ぎ問題の強固なやり方は、参与の外様大名をはじめとする一橋派の反感を買うとともに、尊王論者と攘夷論者の双方からも強い反発を招きます。

開国と井伊直弼による安政の大獄

安政の改革と日米修好通商条約締結 ペリー来航前より老中・安倍正弘は、幕政の改革の必要性を感じ着手します。この改革を安政の改革と呼ばれ、幕府三大改革の享保の改革、寛政の改革、天保の改革に次ぐ改革とされています。

尊王攘夷運動の高まりと吉田松陰

ペリーの黒船来航以降、相次ぐ異国船の来航やそれに伴う摩擦とアヘン戦争・アロー戦争での清国の敗北は、日本の外交姿勢を根本から変える出来事でした。 公武合体に至るまでの幕末初期は、幕府を中心とした【開国派】と朝廷を中心とする【攘夷派】の対立とし…

天下布武を目指した織田信長の軍事改革②【効果的な兵器の活用】

信長の軍事改革の第二弾は、合戦を冷静に分析し、戦況に応じた武器を投じた効果的な兵器の活用術を見てみたいと思います。

天下布武を目指した織田信長の軍事革命 【方面軍の創設】

織田信長は、他の戦国大名に先立ち最新兵器の鉄砲を大量に導入や方面軍の創設などの様々な軍事改革を行い、天下布武に邁進しました。 最新兵器の活用、独特な戦術や家臣の能力を最大限引き出した人材活用術を取り上げながら、織田信長軍団を紐解いていきます…

不利な状況から勝利を掴んだ戦国時代の名采配

戦国時代の多くの武将の見せ場はやはり合戦でした。全国各地、大なり小なり多くの合戦が各地であり、その数だけドラマがありました。 今日はその中から、不利な状況から見事な名采配で勝利を引き寄せた織田信長と北条氏康、豊臣秀吉の合戦を紹介していきます…

富国強兵を体現した日本での鉄道敷設と軍隊の関係性

19世紀前半にイギリスでは、蒸気機関による鉄道が実用化されて以降、鉄道は文明の発達に大きな役割を果たしていました。 一方で日本では、明治維新後の1872年(明治5年)には、早くも最初の鉄道が新橋から横浜間に開通して、日本の近代化を加速させていきまし…

律令政治で地方に作られた国府とは?

飛鳥時代後期から平安時代初期にかけて日本は律令国家でした。 律令国家とは、【全ての国民と国土は、天皇の支配を受ける】とおり、天皇を中心とした中央集権を目指した政治体制でした。 中大兄皇子が蘇我氏を倒して、大化の改新によって律令政治が始まった…

大国イギリスと小国日本が結んだ日英同盟の裏事情

日清戦争の結果、極東地域における日本の発言力が大幅に上がりました。 その一方で、清の弱体化により欧州各国が東アジア進出をもくろんでいました。 下関条約へのロシア、フランス、ドイツなどによる日本への三国干渉などに代表されるようにその動きは露骨…

絵で見る・律令制への道【蘇我氏の台頭】

大化の改新のきっかけとしてお馴染みの蘇我氏。律令制という歴史的に見ても重要な制度が作られた背景を語る時、乙巳の変、大化の改新、白村江の戦いは避けて通れません。 そんな一連の政治改革に至った背景は近隣諸国の事情も重なって結構複雑だったりします…

日本の首都が東京ではなく広島だった時期があった!?

日清戦争は、朝鮮に対する宗主国として立場を主張する清とその宗主国を否定して朝鮮から清を排除しようとする日本との対立が主な原因です。 そして、その主戦場は朝鮮半島とその周辺海域になると誰もが予測していました。

なぜ日本は不利と言われた日清戦争と日露戦争に勝てたのか?

明治維新から20年あまり、富国強兵により急速に国際化を進めてきた日本にとっては、近隣諸国との良好な関係構築は急ぎの課題でした。 しかし、周囲の国は政治的に不安定な朝鮮半島をめぐり日本と利権を争っていた大国・清や北方に広大な国ロシアが領土拡大を…

日本での最も古い国技・相撲の歴史について

わが国での相撲と言う競技は【国技】となっていますが、今のような土俵上で行われる形式が日本独自であることからそう呼ばれているそうです。 相撲のように人が組合い、力比べすると言う意味では、人間の本能的なものですから、日本だけではなく【相撲のよう…

日本の小麦の伝来とパンの歴史

パンの原料となる小麦が歴史上に登場したのは約9000年前の事です。 その小麦から作られたパンは、貴重な食料として古来より神様の贈り物として、日々の食事はもちろん、お祝い事などにも用いられていたそうです。

絵で見る!弥生時代から古墳時代

弥生時代から古墳時代にかけての当時の状況はよく分かっていません。大和王権がそもそも最初から畿内に拠点を置いてたか?もはっきりしていません。 そのうえで個人的に一番しっくりくる説を都合よく脳内補完して書いてます。ご注意下さい。

【北条早雲】下剋上への道 其三 相模平定と北条氏5代

北条早雲による相模平定 早雲は、扇谷上杉家・上杉朝良から軍事協力の求めを大義名分として相模国の統一を目指します。

【北条早雲】下剋上への道 其二 伊豆討ち入りと戦国時代の幕開け

北条早雲、伊豆へ侵攻 室町8代将軍・足利義政が対立していた古河公方への対抗策として、幕府側から正式な鎌倉公方として足利正知を送り込みますが、鎌倉には入ることが出来ず、伊豆の堀越に本拠地を構えることになり【堀越公方】と呼ばれるようになりました…

【北条早雲】下剋上の道 其一 北条早雲(伊勢盛時)と今川家との関係

下剋上の始まりは、北条早雲が始まりとされています。 北条早雲は、小田原城を奪い相模を統一すると言う偉業を達成し、5代に渡り後北条氏の基礎を築いた人物です。 北条氏と言うと、鎌倉時代に執権として権力を思うままにした北条氏がいましたが、血のつなが…

石田三成の旗印、大一大万大吉の意味とは?

石田三成の旗印と言えば、【大一大万大吉】と記されています。 旗印と言えば、武田信玄の【風林火山】が有名で、その意味も多くの人が知っているかと思います。 では、この石田三成の旗印にはどのような意味が込められていたのでしょうか?

鎌倉公方と関東管領の違い。公方様とは誰の事を指していたのか?

室町幕府には、将軍を補佐する役職として【管領】と言う役職が置かれました。 管領は、幕政にとても大きな役割を持っていたので、将軍と共に【京都】にいました。京の都のほかに、武士の本拠地である【鎌倉】の地にも鎌倉公方と言う武士たちを統括する役職を…

後醍醐天皇と室町幕府成立と南北朝時代の背景

後醍醐天皇と足利尊氏は共に鎌倉幕府を倒しましたが、なぜ互いに対立してしまったのでしょうか? なぜ、室町幕府成立後に南北朝時代となってしまったのでしょうか? 今日は分かりずらい鎌倉末期~南北朝時代くらいまでの歴史的背景をわかりやすく紹介してい…

簡単に分かる?ゆる~い縄文時代の流れを見てみよう

イラストで日本史の流れをわかりやすく学んでいこう! 第一弾は、旧石器時代~縄文時代への移り変わりを見ていきましたが、第二弾として縄文時代について書いて行きたいと思います。 rekishi-note.hatenablog.com

蒙古襲来【元寇】で元を退けた武闘派の執権北条時宗

1274年と1281年、当時大陸を支配してたモンゴル帝国が2度にわたり日本を進攻してきました。私たちはこの歴史的出来事を元寇や蒙古襲来と習いました。 1274年は、鎌倉時代で北条氏による執権政治が確立された頃です。当時の執権は8代目北条時宗で、元寇による…

日本でのいくさ(戦争)の移り変わり

歴史を学んでいると、様々な争いごとを経て今があると言うのがわかります。 近代の戦争は、戦闘機や戦車でドンパチするものを連想します。しかし、昔の戦争は、単なる自己主張の場と言う意味合いもあり、【自分にはこれだけの見方がいる】と見せつける場でも…

明治時代までは、日本も一夫多妻制だった!?

2006年に自称占い師の男による20代女性に自宅で共同生活に加わるように脅迫した事件がありました。この男は、【もてる呪文】なるものを知っているそうで、そのおかげで当時、10名の女性と共同生活を送っていたそうです。 もてる呪文があるなら教えてほしい今…

絵で見てわかる?旧石器時代から縄文時代へどう移行していったのか??

今回は少々趣向を変えてイラストや写真を多用して流れを追って行きます。緩いのが苦手な方はご注意ください。若干、歴史の流れは想像力で補完してますのでご了承下さい。