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日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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徳川綱吉は、犬公方のバカ殿と言われていたが、実は名君だった!!

徳川綱吉と聞くと、【犬将軍】【生類憐みの令】を思い浮かべる人は多いと思います。 生類憐みの令は、生き物を殺傷したらその人は、重い罰を受けてしまうと言うイメージは誰もが持っていると思います。 しかし、いつの世もこのようなスキャンダラスな事柄は…

徳川家康の死因はてんぷらを食べ過ぎてでなくて胃がんだった!?

関ケ原の戦いのあと、1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開いた徳川家康。応仁の乱より始まった戦国時代の大名としてもいくつもの修羅場をくぐってきた彼は、豊臣家滅亡を確認するかのように1616年に死去します。 享年75歳で当時としては長命で、徳川歴代将…

井伊家の生い立ちと女城主井伊直虎

井伊家はもともと遠江国引左郡井伊谷を支配する豪族でした。 応仁の乱後は、守護職の斯波義龍に属して、遠江を侵攻してきた駿河守護の今川家と対立していました。しかし、今川家が遠江の守護職を得ると、井伊家はその支配下に置かれます。 この時、今川家は…

戦国時代の天才軍師、竹中半兵衛と黒官兵衛の絆

戦国時代の天才軍師といえば、竹中半兵衛と黒田官兵衛の戦国二兵衛が有名です。 私がイメージする軍師像は、君主の側にいつもいて、戦などの戦術や作戦を練ったり、その君主が困った時の相談役というイメージがあります。 しかし、当時の信頼できる文章の中…

徳川家康はどうして260年続く天下泰平の基礎を作ることが出来たのか?

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人は戦国時代と言う怒涛の時代を生き抜きました。 そして、最終的には徳川家康が天下をとり260年続く江戸幕府を開くことが出来ました。信長、秀吉にもできなかった安定的な政権をどうして家康は実現することが出来たのでしょ…

豊臣秀長、兄秀吉の補佐役に徹した生涯

太閤秀吉の弟にもかかわらず多くは語られていない人物、豊臣秀長。この人の果たした功績は大きく、握った権限も著しく強いものでした。 116万石の大大名となり、従二位権大納言の高位を賜り、天下の政にも深く関わった人物は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?② 岐阜城~安土城 

稲葉山の戦いで宿敵斎藤家を討ち滅ぼした織田信長。ここからよいよ信長は天下統一へと加速していくことになります。 稲葉山城※陥落後、信長は小牧山から稲葉山への拠点移動を決断します。 そして、城と町の名前を【稲葉山】から【岐阜】と名づけました。 古…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?① 那古屋城~小牧山城

織田信長を調べていくと、居城を次々に変えていくことが分かります(当時の戦国大名たちは、本拠地をあまり変えることをしませんでした)。 この記事では、信長の戦略・領地展開を居城の移転という視点から見ていきます。 信長はこれまで、那古屋城 ⇒ 清須城…