日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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人物伝

戦国最強の島津義弘は、武勇だけではなく人情味あふれる人だった!!

島津氏と聞くと、幕末期の天璋院篤姫のお父さん島津斉彬を思い出す人も多いのではないのでしょうか? この島津斉彬は11代薩摩藩主でしたが、今日ご紹介する島津義弘は、初代藩主島津家久のお父さんになります。 義弘は戦国期の薩摩の英雄とされています。い…

肥前の妖怪・鍋島直正を見てみよう

明治維新の功労藩の名を表す『薩長土肥』の『肥』は『肥前』すなわち『佐賀』を指しています。その中でも『肥前の妖怪』という二つ名を持つ鍋島直正は希代の名君としても知られています。 今回はそんな佐賀藩の取り組みと蘭学狂いとまで言われていた鍋島直正…

明治維新の英雄、西郷隆盛はなぜ西南戦争に巻き込まれたのか?

2018年のNHK大河ドラマが西郷どん(セゴドン)に決まりました。 ちなみに、上記の写真は一説に要よると西郷隆盛でない説があるようです。

わかりやすい徳川幕府15代将軍のまとめ

江戸時代は、263年に渡り15人の将軍が日本を治めていました。 全てを覚えるのは難しいかもしれませんが、簡単に15人の将軍をまとめてみました。

意外と多い!?乱世に生きた歴史上の女武将達!!

今更ながら、2017年の大河ドラマは【おんな城主 直虎】で、井伊直虎が題材のドラマです。ここで注目となったのは、井伊直虎と言う人物が女性だったという事。大河の始まる直前に、直虎は実は男だったと言う説が出てきて話題にもなりましたが、大河ドラマの方…

戦国一数奇な運命を辿った浅井家三女・江は、今上天皇の先祖だった!?

1567年、北近江の大名浅井長政は、織田信長の妹である市と婚姻することにより、織田家と同盟を結びました。 その浅井長政と信長の妹・市の間には、3人の娘が生まれました。 娘の名は、茶々・初・江。 天下統一事業を進めた織田信長の姪として、2度の大名家の…

自由民権運動の中心人物であった板垣退助が近代国家形成のきっかけを作る

自由民権運動は大政奉還後の明治維新という政治制度の変化の中で、国の民である国民の自由と権利を保障するための政治的な取り組みのことを言います。 自由民権運動は当時、薩摩藩や長州藩などの特定の藩の出身者が政治を行っていることを批判して行われた運…

徳川家康も教訓にした、平清盛の最大の失敗!?

保元の乱の後、武士勢力が台頭してきました。その武士勢力の2大勢力が平氏と源氏で、いわばライバルでした。 最初に頭角を現してい来るのが平清盛率いる平氏一門。しかし、清盛はこの時、自らを滅亡へと追いやるミスを犯します。源氏の嫡男である源頼朝を処…

幕府から目をつけられてながらも、加賀百万石を守った二代目藩主前田利常

加賀藩は、外様大名と言う立場であるにもかかわらず、御三家に準ずる高待遇を受けていました。幕府が一国一城令を発したのにもかかわらず、一国二城が認められるなど異例の扱いも受けていました。 しかし、そんな高待遇も幕府設立当初からでもなかったようで…

徳川綱吉は、犬公方のバカ殿と言われていたが、実は名君だった!!

徳川綱吉と聞くと、【犬将軍】【生類憐みの令】を思い浮かべる人は多いと思います。 生類憐みの令は、生き物を殺傷したらその人は、重い罰を受けてしまうと言うイメージは誰もが持っていると思います。 しかし、いつの世もこのようなスキャンダラスな事柄は…

徳川家康の死因はてんぷらを食べ過ぎてでなくて胃がんだった!?

関ケ原の戦いのあと、1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開いた徳川家康。応仁の乱より始まった戦国時代の大名としてもいくつもの修羅場をくぐってきた彼は、豊臣家滅亡を確認するかのように1616年に死去します。 享年75歳で当時としては長命で、徳川歴代将…

井伊家の生い立ちと女城主井伊直虎

井伊家はもともと遠江国引左郡井伊谷を支配する豪族でした。 応仁の乱後は、守護職の斯波義龍に属して、遠江を侵攻してきた駿河守護の今川家と対立していました。しかし、今川家が遠江の守護職を得ると、井伊家はその支配下に置かれます。 この時、今川家は…

戦国時代の天才軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛の絆

戦国時代の天才軍師といえば、竹中半兵衛と黒田官兵衛の戦国二兵衛が有名です。 私がイメージする軍師像は、君主の側にいつもいて、戦などの戦術や作戦を練ったり、その君主が困った時の相談役というイメージがあります。 しかし、当時の信頼できる文章の中…

徳川家康はどうして260年続く天下泰平の基礎を作ることが出来たのか?

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人は戦国時代と言う怒涛の時代を生き抜きました。 そして、最終的には徳川家康が天下をとり260年続く江戸幕府を開くことが出来ました。信長、秀吉にもできなかった安定的な政権をどうして家康は実現することが出来たのでしょ…

豊臣秀長、兄秀吉の補佐役に徹した生涯

太閤秀吉の弟にもかかわらず多くは語られていない人物、豊臣秀長。この人の果たした功績は大きく、握った権限も著しく強いものでした。 116万石の大大名となり、従二位権大納言の高位を賜り、天下の政にも深く関わった人物は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?② 岐阜城~安土城 

稲葉山の戦いで宿敵斎藤家を討ち滅ぼした織田信長。ここからよいよ信長は天下統一へと加速していくことになります。 稲葉山城※陥落後、信長は小牧山から稲葉山への拠点移動を決断します。 そして、城と町の名前を【稲葉山】から【岐阜】と名づけました。 古…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?① 那古屋城~小牧山城

織田信長を調べていくと、居城を次々に変えていくことが分かります(当時の戦国大名たちは、本拠地をあまり変えることをしませんでした)。 この記事では、信長の戦略・領地展開を居城の移転という視点から見ていきます。 信長はこれまで、那古屋城 ⇒ 清須城…