日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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江戸時代

戦国時代のある技術が大塩平八郎の乱に繋がった??

古今東西、戦争によって技術が発展することはよく言われています。インターネットにデジタルカメラ、携行保存食、電子レンジに航空産業、果ては鉛筆まで様々です。 それは日本においても例外ではありません。戦国時代に培われた技術が江戸時代に形を変えて普…

大江戸八百八町はごく一時期だけだった!!

江戸時代、将軍のおひざ元で実質的な首都でもあった江戸の町は、100万人の人口があり世界一の都市だと言われています。 しかし、実際には当時の江戸の人口の正確な数字は良くわかっていないません。

肥前の妖怪・鍋島直正を見てみよう

明治維新の功労藩の名を表す『薩長土肥』の『肥』は『肥前』すなわち『佐賀』を指しています。その中でも『肥前の妖怪』という二つ名を持つ鍋島直正は希代の名君としても知られています。 今回はそんな佐賀藩の取り組みと蘭学狂いとまで言われていた鍋島直正…

幕末に起きた経済面での大混乱とは??

大きく政治制度が変わった明治維新。そのきっかけが黒船来航だったのは有名な話です。ですが、黒船来航がすぐに攘夷へと繋がった訳ではありません。 態々生死をかけて既存の体制を壊すその裏には大抵「貧困ゆえの食糧不足」や「生死にかかわる弾圧」なんかが…

わかりやすい徳川幕府15代将軍のまとめ

江戸時代は、263年に渡り15人の将軍が日本を治めていました。 全てを覚えるのは難しいかもしれませんが、簡単に15人の将軍をまとめてみました。

鎖国政策中の江戸時代の日本でも数学力は世界トップレベルだった!?

現代でもわが国の数学は、トップクラスでたくさんの数学者がいます。 現在、私たちが学習してきた数学は、明治時代にヨーロッパから入ってきたものです。 では、それ以前の時代にはたいした数学知識がなかったのか?思いますが、違うようです。 実はわが国日…

江戸時代の識字率は、世界のどこの国を見てもダントツに高かった!!

江戸時代の鎖国政策により、世界的な産業革命に遅れをとった我が国ですが、明治時代の富国強兵により瞬く間に世界に追い付き、経済力でもヨーロッパ諸国に肩を並べ、軍事面では、日清、日露戦争に勝利するまでの力をつけました。 rekishi-note.hatenablog.co…

実は早馬より早駕籠の方が早かった!?

江戸時代の交通手段は、自分の足で歩くか、駕籠に乗るか、馬に乗るかでした。 この移動手段でどれが一番早いかと聞かれたら、ほとんどの人は馬と答えることでしょう。しかし、人を乗せて長距離を移動すると考えた場合は、単純に早駕籠よりも馬の方が早いとは…

理想的なエコな暮らしは江戸に学べ!

近年、環境問題は深刻なものとなり、エコロジー、リサイクルなどは私たちの生活のなかでも当たり前になってきました。 そんな環境について意識が高まってきた今日この頃、現代のわたしたちの見本となるのが江戸の暮らしです。

徳川家康も教訓にした、平清盛の最大の失敗!?

保元の乱の後、武士勢力が台頭してきました。その武士勢力の2大勢力が平氏と源氏で、いわばライバルでした。 最初に頭角を現してい来るのが平清盛率いる平氏一門。しかし、清盛はこの時、自らを滅亡へと追いやるミスを犯します。源氏の嫡男である源頼朝を処…

江戸時代の物価と庶民の暮らし

昔の物価を比較する事はとても難しいことです。 当時、流通していた商品やサービスを単純に現代の価格で直すことは到底不可能であり、専門家ですら様々な条件を付けて【一両】をいくらとする設定をします。 その設定額も、専門家により一両が4万円だったり、…

幕府から目をつけられてながらも、加賀百万石を守った二代目藩主前田利常

加賀藩は、外様大名と言う立場であるにもかかわらず、御三家に準ずる高待遇を受けていました。幕府が一国一城令を発したのにもかかわらず、一国二城が認められるなど異例の扱いも受けていました。 しかし、そんな高待遇も幕府設立当初からでもなかったようで…

明治維新の立役者たる藩はどこも裕福だった!?

江戸時代は、商品経済が目覚ましい発展を遂げた時代でもありました。その一方で、特権階級の非生産階級の武士も維持する必要もあり、幕府の歳出は18世紀~19世紀までの100数年で倍近くも増えています。

開国から幕末までの流れ 2 江戸幕府終焉~廃藩置県

まずは、流れを掴むために年表を… 1865年4月 第2次長州討伐の勅許 1866年12月 慶喜が15代将軍になる。孝明天皇死去。 1867年6月 薩摩と土佐が討幕の密約を結ぶ 10月 朝廷が大政奉還を受理する 12月 王政復古の大号令 1868年1月 鳥羽伏見の戦い 3月 五か条の…

開国から幕末までの流れ 1 ペリー来航~薩長同盟

厳密に幕末の期間に関する定義はありませんが、一般的に1853年の黒船来航~江戸城無血開城後あたりが一般的でしょうか。見方によっては幕末の期間の定義は様々ですが、ここでは幕藩体制が完全に終了した廃藩置県を断行した1871年までを幕末の定義とします。 …

黒船ペリー来航と日本の開国

1853年、日本にとって運命の瞬間が訪れます。 ペリーの来航です。 このペリー来航により、徳川幕府が崩壊して明治維新によって新政府が成立していく【幕末】の時代が始まります。

水野忠邦の天保の改革

江戸の三大改革の最後、水野忠邦が行った【天保の改革】改革について書いていきたいと思います。 天保の飢饉や大塩平八郎の乱、さらに追い打ちをかけるかのように、日本近海に出現した外国船。そんな社会情勢の不安が募っていく中で将軍家斉が亡くなり、水野…

松平定信と寛政の改革

田沼意次にかわり幕府の財政再建を担ったのは、陸奥国白河藩主の松平定信でした。 定信は、徳川将軍家の一族である御三卿の一つ田安家の出身で、吉宗の孫にあたる人物でした。

田沼意次はどのような政治改革で江戸幕府を立て直そうとしたのか?

徳川吉宗が行った享保の改革で幕府の財政がやや上向きになりましたが、1732年の享保の大飢饉や百姓一揆や、打ちこわしなどが続き幕府は再び財政難に陥ることになります。 1745年に吉宗が将軍を引退し、9代将軍家重の時代になりますが、家重は言語障害があり…

江戸幕府と朝廷の関係は?関係悪化を防ぐための幕府の戦略とは?

江戸幕府は、征夷大将軍を朝廷より任命されて初めて成り立ちます。 そのため、朝廷との関係も上手く築いていかなくてはいけませんでした。 この記事では「朝廷」との関係に焦点を当て、幕府が慎重かつ大胆に関係を築かなければならなかった朝廷との関係をわ…

本当は動物愛護法?徳川綱吉の生類憐みの令は悪法だったなのか?

江戸時代通じて生類憐みの令ほど、有名な政策はないことでしょう。 15代将軍も、家康・家光に次ぎ綱吉の名前だけは知っていると言う人も多い事だと思います。それほど、綱吉の行った生類憐みの令がインパクトのある政策であることが分かります。 犬を殺した…

徳川綱吉は、犬公方のバカ殿と言われていたが、実は名君だった!!

徳川綱吉と聞くと、【犬将軍】【生類憐みの令】を思い浮かべる人は多いと思います。 生類憐みの令は、生き物を殺傷したらその人は、重い罰を受けてしまうと言うイメージは誰もが持っていると思います。 しかし、いつの世もこのようなスキャンダラスな事柄は…

徳川家康の死因はてんぷらを食べ過ぎてでなくて胃がんだった!?

関ケ原の戦いのあと、1603年に征夷大将軍となり江戸幕府を開いた徳川家康。応仁の乱より始まった戦国時代の大名としてもいくつもの修羅場をくぐってきた彼は、豊臣家滅亡を確認するかのように1616年に死去します。 享年75歳で当時としては長命で、徳川歴代将…

徳川幕府と外様大名の関係

関ヶ原の戦いで幕府を起こし、大坂の陣を経て徳川家による本格的な幕藩体制がスタートします。各大名家はある程度の統治の権限を保ちながら徳川家の臣下となることで、徳川将軍家は、直接または間接的に全国を統治していきました。

幕府の財政再建と徳川吉宗の享保の改革

徳川家綱から始まった文治政治の影響と、米価の下落対策をせずに放置した事により、幕府の財政難は深刻なものとなっていました。 そんな中、7代目家継に代わり、徳川吉宗が8代目将軍に就任しました。

江戸時代の流れ ~将軍家綱による文治政治の始まりによる幕藩体制の安定~

江戸幕府初期の初代家康~3代家光までは、武力を背景とした大名統制を行っていました。これを武断政治と呼びます。 武家諸法度違反と称し、言うことを聞かない大名は、片っ端から取り潰していき、1600年~1640年までの改易数は198の大名家が取り潰しとなりま…

江戸幕府の成立と幕府の体制(家康~家光)

江戸時代は、1603年~1868年まで260年以上も続きました。 始まりは徳川家康が征夷大将軍になった1603年、終末は1867年の大政奉還までが江戸時代だと一般的に言われています。 この江戸幕府は、鎌倉・室町幕府と続く日本で最後の武家政権となります。

徳川家康の天下統一と江戸幕府の始まりの流れ

豊臣秀吉の死後頭角を現したのが、徳川家康です。 徳川家康は織田信長の盟友であったため、一時期は信長の後継者を狙う豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで、合戦を繰り広げたこともありました。しかし、秀吉が関白に就任し、五大老(重要政務を行う役職)の一員と…