日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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反信長勢力による【信長包囲網】 第2期 1572年~1575年

浅井・朝倉家との和睦と延暦寺焼き討ちにより、第一次信長包囲網が終結しました。しかし、信長の困難はまだ終わりません。反信長勢力は勢力を維持したままで、そのほとんどは打倒信長の機会を狙っていました。 そんな中、信長への不満を募らせていたのが、15…

井伊家の生い立ちと女城主井伊直虎

井伊家はもともと遠江国引左郡井伊谷を支配する豪族でした。 応仁の乱後は、守護職の斯波義龍に属して、遠江を侵攻してきた駿河守護の今川家と対立していました。しかし、今川家が遠江の守護職を得ると、井伊家はその支配下に置かれます。 この時、今川家は…

反信長勢力による【信長包囲網】 第1期 1568年~1571年

織田信長は1567年【天下布武】のキャッチフレーズのもと足利義昭を奉じて上洛する事に成功します。しかし直後に反対勢力による抵抗を受けて窮地に立たされることになります。 1568年頃から1582年の本能寺の変までの10年以上にも及ぶ信長の天下布武への厳しい…

保元の乱の戦後処理

平治の乱が起こった原因となった保元の乱の戦後処理について考察しながら探ります。 キーパーソンは保元の乱で参謀のような役割をしていた信西という人物。信西は後白河天皇と共に保元の乱の後の体制を整えていきました。この信西と保元の乱後の体制がどうな…

わかりやすい保元の乱

保元の乱の裏事情でも書きはしたのですが、文字が多かったので関係図付きで分かりやすく?説明できればなぁと思います。

織田信長の天下布武は最初は小さい天下だった!?将軍追放との関係とは…

天下統一と聞くと一般的に全国を平定すると捉えますが、最近の研究では必ずしも 天下=全国ではないと言う考え方があるそうです。 そのため、信長が岐阜城を拠点とした頃に考えた『天下布武』が全国を武を持って治めると言う意味ではないと言うのです。 美濃…

織田信長の目指す天下布武とは?

文献や教科書などでよく見かける【天下布武】の主印判。天下布武と聞くと、武力を持って天下を制するイメージがしますが、本当のところはどうなんでしょうか? 今回は、織田信長のスローガンでもあった【天下布武】について考えていきます。

平安時代から鎌倉時代への流れ

平安時代がとても長いので、少し表にまとめて流れを書いてみたいと思います。 これを見て流れをつかめたらいいなと思います。

信長から秀吉・家康へ…兵農分離の目的と身分の確定

一般的に兵農分離は、豊臣秀吉が太閤検地、刀狩、人掃令を出して身分をはっきり出した政策の事を書かれます。しかし、その基本的な事は織田信長が考え、秀吉が発展させて、江戸時代に徳川家康が完成をさせます。 信長以前までは、兵と農の身分に線引きが明確…

戦国時代の天才軍師、竹中半兵衛と黒官兵衛の絆

戦国時代の天才軍師といえば、竹中半兵衛と黒田官兵衛の戦国二兵衛が有名です。 私がイメージする軍師像は、君主の側にいつもいて、戦などの戦術や作戦を練ったり、その君主が困った時の相談役というイメージがあります。 しかし、当時の信頼できる文章の中…

保元の乱の裏事情

平安から鎌倉時代に移行する流れを知るのに避けられない争いが保元の乱と平治の乱、そして治承・寿永の乱です。 簡単に言うと・・・ 保元の乱:後白河天皇と崇徳上皇の間に起きた皇位継承問題が摂関家の内部争いと絡んで戦いに発展したもの。後に犬猿の仲と…

室町幕府の成立と滅亡までの流れ

最近、戦国時代を書いていると室町時代の流れがイマイチつかめなくなってきたので、大まかな流れを書いてみたので参考になればと思います。 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が朝廷の政治を復活させるために、建武の新政と呼ばれる新しい政権を興します。しかし、…

応仁の乱と戦国時代の幕開け

応仁の乱は1467年に京都を中心に、東軍細川勝元・西軍山名宗全が戦った大規模な内乱のことを言います。 学生の頃【ひとよむなしい応仁の乱】と覚えた人も多いのではないのでしょうか? 日本の歴史では、この応仁の乱をきっかけに戦国時代へと突入していきま…

尾張守護大名斯波氏と守護代織田家の関係

以前、織田信長の記事を書いた時、織田と名前のつく人物がたくさん出てきて、誰が誰だかわからなくなったので今日は、織田家について調べましたので書いていきます。 織田氏はもともと、尾張の守護大名斯波(しば)氏の家臣の家柄です。 尾張守護斯波氏のも…

武士が重用されるようになった理由

白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇と3代続いた院政は100年余り続いています。この院政が終わりを告げたのは平氏が本格的に政治参加するようになってから。 では、なぜ平氏が政治に参加するようになったのか?? その経緯を知る前に、武士が重用されるようにな…

徳川家康はどうして260年続く天下泰平の基礎を作ることが出来たのか?

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人は戦国時代と言う怒涛の時代を生き抜きました。 そして、最終的には徳川家康が天下をとり260年続く江戸幕府を開くことが出来ました。信長、秀吉にもできなかった安定的な政権をどうして家康は実現することが出来たのでしょ…

摂関政治の衰退と院政開始

藤原頼通は1017年に道長から摂政の地位を譲られ、その道長の死後は朝政の第一人者として時代を築き上げた人物です。後一条・後朱雀・後冷泉天皇と3代の天皇の摂政・関白として50年以上務めあげ、藤原全盛期を生きたと言えるでしょう。 そんな状況の藤…

豊臣秀長、兄秀吉の補佐役に徹した生涯

太閤秀吉の弟にもかかわらず多くは語られていない人物、豊臣秀長。この人の果たした功績は大きく、握った権限も著しく強いものでした。 116万石の大大名となり、従二位権大納言の高位を賜り、天下の政にも深く関わった人物は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?② 岐阜城~安土城 

稲葉山の戦いで宿敵斎藤家を討ち滅ぼした織田信長。ここからよいよ信長は天下統一へと加速していくことになります。 稲葉山城※陥落後、信長は小牧山から稲葉山への拠点移動を決断します。 そして、城と町の名前を【稲葉山】から【岐阜】と名づけました。 古…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?① 那古屋城~小牧山城

織田信長を調べていくと、居城を次々に変えていくことが分かります(当時の戦国大名たちは、本拠地をあまり変えることをしませんでした)。 この記事では、信長の戦略・領地展開を居城の移転という視点から見ていきます。 信長はこれまで、那古屋城 ⇒ 清須城…

藤原道長はどのように『望月の歌』を詠むまでに至ったか?-其の弐-

前回の記事では、藤原道長に助け舟を出した詮子の状況について調べていきましたが、今回は道長が朝廷内での権力を実際に得ていく様子などを探っていきたいと思います。 <関連リンク>

詮子が道長を援護した理由を見てみよう

道長の栄華のきっかけになった姉詮子(せんし)。可愛い弟のために・・・という理由も聞きますが、どうにもそれだけではなさそうです。 道長や詮子の父兼家と兼家の兄兼通との抗争が、詮子とその夫円融天皇そして伊周(これちか)との関係にも大きく関係して…

藤原道長はどのように『望月の歌』を詠むまでに至ったか?-其の壱-

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば この歌は、藤原道長の三女・威子(いし、たけこ)が後一条天皇の立后祝いでの饗宴の席で歌われた有名な歌です。同母姉・太皇太后の彰子、皇太后・妍子(けんし)と共に一家に三后が立つ前例の…

藤原道長について知る前に・・・

平安時代の中で最も有名と言っても差し支えのない人物・藤原道長ですが、道長について調べる前に藤原氏の歴史を簡単に調べ直していきます。 何しろ飛鳥時代から頻繁に出てくる藤原氏です。道長を語るうえでどうしても『藤原』氏の出自は避けて通れません。長…

平安時代の年中行事

これまでのブログでは歴史の流れに沿って出来事の背景を調べたり時には人物を紹介したりしてきましたが、今回は趣向を変えて『平安時代の年中行事』がテーマです。 何かを調べている時に行事の名前は分かっても「いつ頃の時期にどんな目的でどんなことをして…

刀伊の入寇で活躍した藤原隆家を調べてみる

当ブログのテーマは日本史ですので、前回の刀伊(女真族)側の背景を見ただけでは物足りません。そんなわけで今回は日本側で活躍した藤原隆家に焦点を当てていくことにします。 藤原隆家は平安時代のキーパーソンの一人藤原道長の甥っ子に当たります。摂関家…

刀伊の入寇を調べてみる

10世紀に発生した承平・天慶の乱以外にも武士団が徐々に発生していたことが伺われる出来事があります。それが1019年の刀伊(とい)の入寇です。太宰権帥(だざいのごんのそつ)藤原隆家の指揮の下で九州の武士たちが撃退したと言われています。今回は…

9世紀以降の俘囚(帰化した蝦夷)の相次ぐ反乱ついて考察してみる

平安時代の災害史を探している際、度々目にした俘囚が気になったので調べて考察してみました。 今日は、俘囚(帰化した蝦夷)ついて書いていきたいと思います。

平安時代の災害史

平安時代は災害の多い時代で、その災害が政治にも大きく影響しました。どれだけの災害がいつ頃あったのかを知ることで、怨霊が信じられた背景やそれに伴う幾度かの天皇の譲位、庶民が税から何故逃れようとしたのか??少しは近づけるのではないかなと思いま…

藤原純友の乱はどうして起こったのか?を調べてみる

少し間が空いてしまいましたが、935年以降に続いた下総の私闘で最終的には国司への反乱にまで発展した平将門の乱について以前お話ししたかと思います。 今回は、その平将門の乱と合わせて『承平天慶の乱(当時の元号に由来)』とも呼ばれる『藤原純友の乱』…

四等官制について

これまでの記事の中に『掾』とか『守』とか『介』なんて用語が何度か出てきているのに直接この用語を解説する機会がなかったので、この役職について調べていこうと思います。 では始まりです。

歴史を学んでどう活かすかを考えてみる

ビジネス関係の雑誌や本を読んだりもしているので少しばかりその影響を受けて今回は記事を書かせてもらっています。なので、純粋に趣味として楽しんでいる方、仕事を思い出したくない方はスルーした方が良いかもしれません。 単なる個人的に思う事を語ってい…

平安時代前期~中期前半に起きた出来事・人物まとめ

これまで平安時代に起きた事件や人物など多く出てきましたし、今後も増えていきそうなので、年表にしてみました。時代の流れごとに分かり易くリンクを貼っていきたいと思います。一応今まで書いた内容に沿って作っています。リンクもこれから増やす予定です。

菅原道真を調べてみる【その2】

前回は菅原道真と宇多天皇がどんな人物だったのか、道真は宇多天皇の下で異例の出世を果たしたことを書いていきました。 その妬み嫉みが道真にどう影響していったのかを見ていきましょう。では始まります。

菅原道真について調べてみる

前回は菅原道真と平将門の関係については書きましたが、肝心の菅原道真についてはまだでしたので、今回は早速書かせていただきます。菅原道真と言えば、やはりインテリのイメージです。政治家の顔と同時に文学者、学者としての顔もありますね。 今回はそんな…

平将門と菅原道真との繋がりを見てみよう

前回の平将門について書かれたのが将門記。この将門記に少し意外な人物の名が載っています。その人物は菅原道真。まだ当ブログでは扱っていませんが、学問の神様として有名です。 平将門の変が起こる30年以上も前に亡くなった菅原道真が何故出て来るのかを見…

平将門の乱が起こった背景を調べてみる

かなり昔のものになりますが、昭和45年のNHKで放送された「日本史探訪」という番組で平将門について故・赤城宗徳氏と故・大岡昇平氏とが対談されています。この対談内容をまとめた書籍を手にすることが出来ました。 赤城氏は平将門を研究、大岡氏はフランス…

平氏の始まり

政治が置いてきぼりにされていたこの時代、地方でもまた勢力を拡大しようとする地方豪族や有力農民が現れ(この流れも後々改めて記事にする予定です)、その勢力の維持拡大のために武装する者達までもが出て来るようになりました。

摂関政治の始まり

薬子の変が終わって以降、それまで栄えていた式家が衰退し藤原家では北家が優位に立ったというお話を以前したと思います。 今回はそんな藤原北家が中心となった貴族政治について調べていきますね。では始まりです。

遣唐使の派遣状況

以前の記事などに遣唐使についてチラッと触れたことはありますが、それだけだと物足りなかったので、追加で記事を書きました。 平安時代に入ってきてそろそろ894年遣唐使を白紙に戻すのが近づいてきていますので、今のうちに遣唐使絡みの話を書きたいと思い…

薬子の変が与えた影響

薬子の変は、嵯峨天皇の迅速な動きにより嵯峨天皇の勝利で決着ししました。平城太上天皇は自ら出家。藤原薬子は服毒自殺をはかり、薬子の兄・藤原仲成は射殺されます。この事件で式家は一気に衰退します。 そこで出てきたのが北家。今までは南家・式家に比べ…

薬子の変(東宮での人間関係)

薬子の変をもう少し深く突っ込んだ話をしていきたいと思います。ちなみに東宮とは皇太子の住む宮殿のことを指しています。 では第二弾始まりです。

薬子の変(平城太上天皇の変)の背景を分かり易く調べてみる

桓武天皇の功績なんかを書いてきましたが、今回はその息子たちのゴタゴタがテーマです。そのゴタゴタとは、最近では律令下における天皇と上皇の権力の在り方が原因となったと言われる「平城太上天皇の変」のことです。 2003年以前は、どの教科書でも「薬子の…

桓武天皇はどうして軍団を廃止したのか?

桓武天皇の政治改革で、以前軍団と兵士の廃止についてチラッと書きましたが、何故廃止したのか?その理由を書いていませんでしたので、改めて書いていきます。では始まりです。

奈良時代の建築史(平城宮編)

前回からの予定通り、今回は天皇陛下の住まい・平城宮についてです。奈良にある平城宮跡歴史公園内には朱雀門や大一次大極殿などが復元されていて、今でも見ることができます。 復元工事で施工したのは竹中工務店で日本史好きとしてはワクワクする組み合わせ…

奈良時代の建築様式(寺院編)

今までは飛鳥時代・奈良時代にかけて政治の裏側を知らべてきましたが、少し趣向を変えて文化的な物にも目を向けてみようと思います。

桓武天皇の政治改革

桓武天皇の主な功績と言えば、二回に及ぶ遷都と東北地方の安定化。これらの他にもいくつか政治改革を行っていますので、今回は桓武天皇含む、平安初期の政治改革について調べていきます。

奈良~平安時代にかけての東北平定

桓武天皇の二大事業と言えば、長岡京と平安京への遷都と東北地方の平定です。今回は東北地方に焦点を当てて調べてみます。では始まりです。

桓武天皇の誕生と長岡京・平安京への遷都

徐々に寺院が力を付けた平城京から離れるためにも遷都しよう!という事になったわけですが、すぐに794年の平安京に移ったわけではありません。その10年前に京都の長岡京へ遷都しようとする動きがありました。 今回はそんな長岡京や平安京の遷都に関するお話…

本格的な仏教政治

聖徳太子の時代から仏教は政治と深く結びついてきましたが、主体はあくまで皇族や豪族によるもの。彼らの支持や保護があって行われていた面があります。 が、奈良時代にはその頃とは少し様子の違った仏教政治を行っているので、今回はその仏教政治に焦点を当…