日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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日露戦争勝利による日本の影響

1904年、日本とロシア帝国は、朝鮮と満州の支配権をめぐる対立から争いが起き、日露戦争に発展します。その主戦場は、朝鮮半島と満州南部、日本海にも及びました。 1905年9月5日にアメリカの仲介により日本とロシアは、ポーツマス条約を締結することで講和を…

わかりやすい日本のお金の歴史のながれ

現在の日本のお金は、4種類の紙幣と5種類の硬貨があり私たちは当たり前のように使用していますが、ここに至るまで長い歴史をお金と言うものは歩んできました。 古代のお金の代表格に、和同開珎や天正小判と言う名前が思い浮かびますが、日本で最初のお金が誕…

日本がアジアの大国清と戦った日清戦争の簡単な流れと下関条約

1894年~1895年まで行われたアジアの大国である清との戦い、それが日清戦争です。 アジアの外交政策において朝鮮半島は、重要な位置を占めていました。 朝鮮は長い間、中国(清)の影響下にありましたが、そこを足掛かりに日本は、大陸に進出したいと考えてい…

意外と多い!?乱世に生きた歴史上の女武将達!!

今更ながら、2017年の大河ドラマは【おんな城主 直虎】で、井伊直虎が題材のドラマです。ここで注目となったのは、井伊直虎と言う人物が女性だったという事。大河の始まる直前に、直虎は実は男だったと言う説が出てきて話題にもなりましたが、大河ドラマの方…

戦国一数奇な運命を辿った浅井家三女・江は、今上天皇の先祖だった!?

1567年、北近江の大名浅井長政は、織田信長の妹である市と婚姻することにより、織田家と同盟を結びました。 その浅井長政と信長の妹・市の間には、3人の娘が生まれました。 娘の名は、茶々・初・江。 天下統一事業を進めた織田信長の姪として、2度の大名家の…

明治初期の国際問題 【不平等条約改正と征韓論~西南戦争まで】

明治政府の外交課題は、幕末から引き継がれていた不平等条約の改正が最重要課題でした。 そのため、1871年(明治4年)に岩倉具視を大使として、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らの岩倉使節団がアメリカやヨーロッパに派遣されました。

明治新政府による改革と中央集権体制の強化

明治政府が真っ先に取り組んだのが、天皇を中心とする政権体制を固める事でした。 まずは、諸藩に領地と領民を天皇に返す版籍奉還で、薩長土肥が手本を見せて行いました。旧藩主たちには石高の代わりに、家禄(給料)を与えて引き続き藩政を任せました。 しか…

理想的なエコな暮らしは江戸に学べ!

近年、環境問題は深刻なものとなり、エコロジー、リサイクルなどは私たちの生活のなかでも当たり前になってきました。 そんな環境について意識が高まってきた今日この頃、現代のわたしたちの見本となるのが江戸の暮らしです。

日本社会を変えた世界の【産業革命】

「産業革命」は、技術の発展や資本家と労働者の関係など新しい社会を作りだしました。 イギリスを皮切りに起こった【産業革命】は、徐々に世界を大きく変えていくことになります。

自由民権運動の中心人物であった板垣退助が近代国家形成のきっかけを作る

自由民権運動は大政奉還後の明治維新という政治制度の変化の中で、国の民である国民の自由と権利を保障するための政治的な取り組みのことを言います。 自由民権運動は当時、薩摩藩や長州藩などの特定の藩の出身者が政治を行っていることを批判して行われた運…

明治の文明開化で変わった日本の生活様式

大政奉還によって政権が徳川幕府から天皇に変換されました。 このような政治の変化により、文化にも影響を及ぼすことになります。その文化的な変化が文明開化と呼ばれているものです。 江戸時代が終わり、明治政府がスタートすると、日本人の生活は西洋を意…

藤原氏による権力の掌握を見ると摂関政治がわかりやすくなる

平安時代のイメージとして思い浮かぶのは、 貴族社会で華やかな時代 国風文化の時代 合戦のない平和な時代 平安末期には、源平合戦などの争いが起きるのですが、一般的には上記のようなイメージを持っている人が多いのではないのでしょうか? 武家政権の時代…

武士初の太政大臣となった平清盛が目指したものは?

平安時代は、貴族社会が華やかな社会を作っていました。 しかし、平安時代半ばの10世紀ころから、平将門の乱、前九年の役、後三年の役などの戦乱が相次いで起こります。 こうした武力行使で物事を要求したりする勢力が現れ始めて平安の貴族たちは強い不安感…

徳川家康も教訓にした、平清盛の最大の失敗!?

保元の乱の後、武士勢力が台頭してきました。その武士勢力の2大勢力が平氏と源氏で、いわばライバルでした。 最初に頭角を現してい来るのが平清盛率いる平氏一門。しかし、清盛はこの時、自らを滅亡へと追いやるミスを犯します。源氏の嫡男である源頼朝を処…

江戸時代の物価と庶民の暮らし

昔の物価を比較する事はとても難しいことです。 当時、流通していた商品やサービスを単純に現代の価格で直すことは到底不可能であり、専門家ですら様々な条件を付けて【一両】をいくらとする設定をします。 その設定額も、専門家により一両が4万円だったり、…

幕府から目をつけられてながらも、加賀百万石を守った二代目藩主前田利常

加賀藩は、外様大名と言う立場であるにもかかわらず、御三家に準ずる高待遇を受けていました。幕府が一国一城令を発したのにもかかわらず、一国二城が認められるなど異例の扱いも受けていました。 しかし、そんな高待遇も幕府設立当初からでもなかったようで…

縄文文化と弥生文化は重なり合って起きていた!?

縄文土器を使用していたとされている縄文時代は、約1万年も続いており【草創期】【早期】【前期】【中期】【後期】【晩期】と6つの時期に分類されています。 これ以前の時代は、旧石器時代で最終氷河期とも重なっています。

明治維新の立役者たる藩はどこも裕福だった!?

江戸時代は、商品経済が目覚ましい発展を遂げた時代でもありました。その一方で、特権階級の非生産階級の武士も維持する必要もあり、幕府の歳出は18世紀~19世紀までの100数年で倍近くも増えています。

わかりやすい古代の土地制度流れ ~初期荘園ができるまで~

古代の土地制度は、天皇を中心とした支配体制の重要な側面になっており、かつ国家財政を左右するものでした。 土地制度の一つ一つが社会的背景と直接リンクしているために政治だけではなく、経済や法整備などの様々な要素がからんできます。 古代の税は、稲…

古代政権の蝦夷との戦い

歴史上で日本と言う国名が使われ始めたのは、天武天皇の頃672年であるとされています。私たちは、日本と聞くと北海道から沖縄までと認識しますが、古墳時代にヤマト政権が誕生したころの日本は、私たちの捉えている日本の示す範囲は全くと言っていいほど異な…

天皇陛下の退位特例法の可決により、200年ぶり60人目の上皇が誕生!!

昭和の後半に生まれたので、現皇太子の年齢を考えると、あと2回は元号が確認できるかなと思っていましたが、2019年に早くも次の元号が体験できる運びとなりました。 天皇陛下の退位を実現する特例法案が、平成29年6月9日に参院本会議で可決成立しました。201…

なぜ聖武天皇は大仏を建立しようと考えたのか?

日光東照宮に並び、人気の観光スポットになっている奈良県の東大寺はあの有名な大仏様がいる寺としても学生から年配の人まで毎年たくさんの人が訪れます。今から1300年くらい前に、奈良の地で壮大な国家プロジェクトが始動します。 それは【大仏の建立】です…

開国から幕末までの流れ 2 江戸幕府終焉~廃藩置県

まずは、流れを掴むために年表を… 1865年4月 第2次長州討伐の勅許 1866年12月 慶喜が15代将軍になる。孝明天皇死去。 1867年6月 薩摩と土佐が討幕の密約を結ぶ 10月 朝廷が大政奉還を受理する 12月 王政復古の大号令 1868年1月 鳥羽伏見の戦い 3月 五か条の…

開国から幕末までの流れ 1 ペリー来航~薩長同盟

厳密に幕末の期間に関する定義はありませんが、一般的に1853年の黒船来航~江戸城無血開城後あたりが一般的でしょうか。見方によっては幕末の期間の定義は様々ですが、ここでは幕藩体制が完全に終了した廃藩置県を断行した1871年までを幕末の定義とします。 …

黒船ペリー来航と日本の開国

1853年、日本にとって運命の瞬間が訪れます。 ペリーの来航です。 このペリー来航により、徳川幕府が崩壊して明治維新によって新政府が成立していく【幕末】の時代が始まります。

水野忠邦の天保の改革

江戸の三大改革の最後、水野忠邦が行った【天保の改革】改革について書いていきたいと思います。 天保の飢饉や大塩平八郎の乱、さらに追い打ちをかけるかのように、日本近海に出現した外国船。そんな社会情勢の不安が募っていく中で将軍家斉が亡くなり、水野…

松平定信と寛政の改革

田沼意次にかわり幕府の財政再建を担ったのは、陸奥国白河藩主の松平定信でした。 定信は、徳川将軍家の一族である御三卿の一つ田安家の出身で、吉宗の孫にあたる人物でした。

田沼意次はどのような政治改革で江戸幕府を立て直そうとしたのか?

徳川吉宗が行った享保の改革で幕府の財政がやや上向きになりましたが、1732年の享保の大飢饉や百姓一揆や、打ちこわしなどが続き幕府は再び財政難に陥ることになります。 1745年に吉宗が将軍を引退し、9代将軍家重の時代になりますが、家重は言語障害があり…

遣唐使と古代日本における中国との関係性

古代日本における中国との関係は、当時の日本を知るにあたってとても重要な要素になります。 聖徳太子(厩戸王)の遣隋使派遣によって当時の強国【隋】と対等な関係を結び、外交関係上日本の立場を強くすることに成功しました。 時は流れ、618年に中国より強大…

ヤマト政権と聖徳太子【厩戸王】の国家改革

縄文時代や弥生時代には日本国内で記された史料がないため、邪馬台国や卑弥呼の存在や状況は【後漢書】東夷伝や【魏志】倭人伝となどの史料が手がかりとなります。 その手がかりである古代中国の史料も、卑弥呼が没した後の248年からの約100年間、史料には日…