日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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これまでの徴税と土地制度を変えた太閤検地

これまでの荘園公領制は、複雑な支配関係がありました。しかし、鎌倉時代になると、地頭たちによる浸食を受けて、室町時代には守護大名がその権限を拡大して支配力を強めていきました。 応仁の乱後、戦国大名が国を治めるようになると、従来の重層的な土地制…

戦国時代の大名と家臣との関係

応仁の乱以降、下剋上の風潮が高まっていき、守護大名の代わりに国を治めていた守護代や国人達が守護大名に代わり国を治めようと独立して戦国大名として成長していきました。 この時代、戦国大名たちが自分たちで作り上げた支配地を領国と呼び、その支配体制…

公家たちが反平氏に回ったもう一つの理由

家柄のあまり良くない平氏が太政大臣にまでのぼりつめ、摂関家領を横領したということで反感を買っていたんじゃ?って話を以前(後白河院と平清盛参照)しましたが、それと同時に平治の乱に至るまでに信西の一件(平治の乱はどんな経緯をたどったのか?)が…

源頼朝の血筋は途絶えていた、鎌倉幕府9代将軍と執権北条氏

一般的に幕府と聞くと、将軍様を思い出します。室町幕府では足利氏が江戸幕府では徳川氏が代々将軍として幕府に君臨していました。 よって鎌倉幕府の創始者は源頼朝なので、代々源氏が将軍だったのだろうと思いますが、少し勝手が違うようです。 良く考えて…

安土桃山時代から江戸時代までの流れ

安土桃山時代は諸説ありますが、ここでは1573年足利義昭追放から1603年徳川家康が征夷大将軍になるまでの時代とします。 この時代には大きく分けて、織田信長が中央政権を取っていた時期と豊臣秀吉が政権を握っていた時期と分けられます。この2人の名前を取…

後白河院と平清盛

後白河院と平清盛の話をする前に二人の関係を語るには欠かせない、平滋子という女性がいます。平滋子の調整があって初めて後白河院ー清盛態勢が上手く築けていたと言っても過言ではありません。 滋子は元々鳥羽院の娘・上西門院に仕えていたところを姉で清盛…

戦国大名の軍事力はどれくらい?

戦国時代の合戦と聞くと華々しく勇壮なものが多い。1560年の桶狭間の戦いでは、大軍率いる今川義元軍に対し織田信長は少ない兵でこれを撃破しました。 1575年の長篠の戦では、織田信長の鉄砲隊により、武田家のお家芸であった騎馬隊をせん滅させました。この…

二条親政派の瓦解

平治の乱で後白河院政派の政治の要である信西(藤原通憲)と藤原信頼が死亡。元々天皇となるための教育を受けたわけじゃない後白河院は、この二人が亡くなったことで政治力を大きく失います。 そうなれば二条親政派の勝利になるのでは??と思いますが、そう…

平安~鎌倉時代の戦は一騎打ちが基本!?武士同士の戦いの進歩

日本の歴史を見ていくと数々の戦いがあり、どれも両軍が入り乱れて生きるか死ぬかの壮絶なものを想像します。しかし、平安~鎌倉時代の戦いはとてもクリーンで分かりやすいものだったそうです。 その戦の方法とは…

本能寺の変。なぜ明智光秀は信長に反旗を翻したのか?

天正10年(1582)6月2日明智光秀は本能寺に宿泊中の織田信長を襲撃し、自害へと追い込みます。これが一般的に知られる【本能寺の変】です。 これまで光秀の謀反の動機は、戦国時代最大の謎として様々な説が挙げられてきました。今回は、明智光秀による本能寺…

信長は、天下布武の後天皇や朝廷をどうするつもりだったのか?

悠久の歴史を誇る天皇と朝廷にも改革の手を伸ばそうとしていた信長。 正親町天皇の退位勧告や朝廷からの三職就任の保留などから何らかの改革をしようと考えていたのかもしれません。もしかしたら旧権力に頼ることなく、信長自身が絶対的な神となり強力な秩序…

平治の乱はどんな経緯をたどったのか?

平治の乱(1159年)は、保元の乱(1156年)の戦後処理に不満を抱いた勢力が平清盛らに挑んだ戦いと言われ結局は仕掛けた方が敗戦。この戦いで信西(藤原通憲という人物が出家)という実力者が亡くなったことで、平清盛に権力が集中し始めます。 今回は平清盛…

反信長勢力による【信長包囲網】 第3期 1575年~1582年

長年にわたり信長を苦しめてきた、朝倉・浅井が滅び、武田家も風前の灯火となりもはや敵なしと思われましたが、まだ大坂に本山をおく本願寺が残っていました。 本願寺は8世法主蓮如の頃に北陸へと勢力を伸ばしており、特に加賀では門徒持ちの国とし戦国大名…

反信長勢力による【信長包囲網】 第2期 1572年~1575年

浅井・朝倉家との和睦と延暦寺焼き討ちにより、第一次信長包囲網が終結しました。しかし、信長の困難はまだ終わりません。反信長勢力は勢力を維持したままで、そのほとんどは打倒信長の機会を狙っていました。 そんな中、信長への不満を募らせていたのが、15…

井伊家の生い立ちと女城主井伊直虎

井伊家はもともと遠江国引左郡井伊谷を支配する豪族でした。 応仁の乱後は、守護職の斯波義龍に属して、遠江を侵攻してきた駿河守護の今川家と対立していました。しかし、今川家が遠江の守護職を得ると、井伊家はその支配下に置かれます。 この時、今川家は…

反信長勢力による【信長包囲網】 第1期 1568年~1571年

織田信長は1567年【天下布武】のキャッチフレーズのもと足利義昭を奉じて上洛する事に成功します。しかし直後に反対勢力による抵抗を受けて窮地に立たされることになります。 1568年頃から1582年の本能寺の変までの10年以上にも及ぶ信長の天下布武への厳しい…

保元の乱の戦後処理

平治の乱が起こった原因となった保元の乱の戦後処理について考察しながら探ります。 キーパーソンは保元の乱で参謀のような役割をしていた信西という人物。信西は後白河天皇と共に保元の乱の後の体制を整えていきました。この信西と保元の乱後の体制がどうな…

わかりやすい保元の乱

保元の乱の裏事情でも書きはしたのですが、文字が多かったので関係図付きで分かりやすく?説明できればなぁと思います。

織田信長の天下布武は最初は小さい天下だった!?将軍追放との関係とは…

天下統一と聞くと一般的に全国を平定すると捉えますが、最近の研究では必ずしも 天下=全国ではないと言う考え方があるそうです。 そのため、信長が岐阜城を拠点とした頃に考えた『天下布武』が全国を武を持って治めると言う意味ではないと言うのです。 美濃…

織田信長の目指す天下布武とは?

文献や教科書などでよく見かける【天下布武】の主印判。天下布武と聞くと、武力を持って天下を制するイメージがしますが、本当のところはどうなんでしょうか? 今回は、織田信長のスローガンでもあった【天下布武】について考えていきます。

平安時代から鎌倉時代への流れ

平安時代がとても長いので、少し表にまとめて流れを書いてみたいと思います。 これを見て流れをつかめたらいいなと思います。

信長から秀吉・家康へ…兵農分離の目的と身分の確定

一般的に兵農分離は、豊臣秀吉が太閤検地、刀狩、人掃令を出して身分をはっきり出した政策の事を書かれます。しかし、その基本的な事は織田信長が考え、秀吉が発展させて、江戸時代に徳川家康が完成をさせます。 信長以前までは、兵と農の身分に線引きが明確…

戦国時代の天才軍師、竹中半兵衛と黒官兵衛の絆

戦国時代の天才軍師といえば、竹中半兵衛と黒田官兵衛の戦国二兵衛が有名です。 私がイメージする軍師像は、君主の側にいつもいて、戦などの戦術や作戦を練ったり、その君主が困った時の相談役というイメージがあります。 しかし、当時の信頼できる文章の中…

保元の乱の裏事情

平安から鎌倉時代に移行する流れを知るのに避けられない争いが保元の乱と平治の乱、そして治承・寿永の乱です。 簡単に言うと・・・ 保元の乱:後白河天皇と崇徳上皇の間に起きた皇位継承問題が摂関家の内部争いと絡んで戦いに発展したもの。後に犬猿の仲と…

室町幕府の成立と滅亡までの流れ

最近、戦国時代を書いていると室町時代の流れがイマイチつかめなくなってきたので、大まかな流れを書いてみたので参考になればと思います。 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が朝廷の政治を復活させるために、建武の新政と呼ばれる新しい政権を興します。しかし、…

応仁の乱と戦国時代の幕開け

応仁の乱は1467年に京都を中心に、東軍細川勝元・西軍山名宗全が戦った大規模な内乱のことを言います。 学生の頃【ひとよむなしい応仁の乱】と覚えた人も多いのではないのでしょうか? 日本の歴史では、この応仁の乱をきっかけに戦国時代へと突入していきま…

尾張守護大名斯波氏と守護代織田家の関係

以前、織田信長の記事を書いた時、織田と名前のつく人物がたくさん出てきて、誰が誰だかわからなくなったので今日は、織田家について調べましたので書いていきます。 織田氏はもともと、尾張の守護大名斯波(しば)氏の家臣の家柄です。 尾張守護斯波氏のも…

武士が重用されるようになった理由

白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇と3代続いた院政は100年余り続いています。この院政が終わりを告げたのは平氏が本格的に政治参加するようになってから。 では、なぜ平氏が政治に参加するようになったのか?? その経緯を知る前に、武士が重用されるようにな…

徳川家康はどうして260年続く天下泰平の基礎を作ることが出来たのか?

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人は戦国時代と言う怒涛の時代を生き抜きました。 そして、最終的には徳川家康が天下をとり260年続く江戸幕府を開くことが出来ました。信長、秀吉にもできなかった安定的な政権をどうして家康は実現することが出来たのでしょ…

摂関政治の衰退と院政開始

藤原頼通は1017年に道長から摂政の地位を譲られ、その道長の死後は朝政の第一人者として時代を築き上げた人物です。後一条・後朱雀・後冷泉天皇と3代の天皇の摂政・関白として50年以上務めあげ、藤原全盛期を生きたと言えるでしょう。 そんな状況の藤…

豊臣秀長、兄秀吉の補佐役に徹した生涯

太閤秀吉の弟にもかかわらず多くは語られていない人物、豊臣秀長。この人の果たした功績は大きく、握った権限も著しく強いものでした。 116万石の大大名となり、従二位権大納言の高位を賜り、天下の政にも深く関わった人物は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?② 岐阜城~安土城 

稲葉山の戦いで宿敵斎藤家を討ち滅ぼした織田信長。ここからよいよ信長は天下統一へと加速していくことになります。 稲葉山城※陥落後、信長は小牧山から稲葉山への拠点移動を決断します。 そして、城と町の名前を【稲葉山】から【岐阜】と名づけました。 古…

織田信長はどうして居城を次々と変えていったのか?① 那古屋城~小牧山城

織田信長を調べていくと、居城を次々に変えていくことが分かります(当時の戦国大名たちは、本拠地をあまり変えることをしませんでした)。 この記事では、信長の戦略・領地展開を居城の移転という視点から見ていきます。 信長はこれまで、那古屋城 ⇒ 清須城…

藤原道長はどのように『望月の歌』を詠むまでに至ったか?-其の弐-

前回の記事では、藤原道長に助け舟を出した詮子の状況について調べていきましたが、今回は道長が朝廷内での権力を実際に得ていく様子などを探っていきたいと思います。 <関連リンク>

詮子が道長を援護した理由を見てみよう

道長の栄華のきっかけになった姉詮子(せんし)。可愛い弟のために・・・という理由も聞きますが、どうにもそれだけではなさそうです。 道長や詮子の父兼家と兼家の兄兼通との抗争が、詮子とその夫円融天皇そして伊周(これちか)との関係にも大きく関係して…

藤原道長はどのように『望月の歌』を詠むまでに至ったか?-其の壱-

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば この歌は、藤原道長の三女・威子(いし、たけこ)が後一条天皇の立后祝いでの饗宴の席で歌われた有名な歌です。同母姉・太皇太后の彰子、皇太后・妍子(けんし)と共に一家に三后が立つ前例の…

藤原道長について知る前に・・・

平安時代の中で最も有名と言っても差し支えのない人物・藤原道長ですが、道長について調べる前に藤原氏の歴史を簡単に調べ直していきます。 何しろ飛鳥時代から頻繁に出てくる藤原氏です。道長を語るうえでどうしても『藤原』氏の出自は避けて通れません。長…

平安時代の年中行事

これまでのブログでは歴史の流れに沿って出来事の背景を調べたり時には人物を紹介したりしてきましたが、今回は趣向を変えて『平安時代の年中行事』がテーマです。 何かを調べている時に行事の名前は分かっても「いつ頃の時期にどんな目的でどんなことをして…

刀伊の入寇で活躍した藤原隆家を調べてみる

当ブログのテーマは日本史ですので、前回の刀伊(女真族)側の背景を見ただけでは物足りません。そんなわけで今回は日本側で活躍した藤原隆家に焦点を当てていくことにします。 藤原隆家は平安時代のキーパーソンの一人藤原道長の甥っ子に当たります。摂関家…

刀伊の入寇を調べてみる

10世紀に発生した承平・天慶の乱以外にも武士団が徐々に発生していたことが伺われる出来事があります。それが1019年の刀伊(とい)の入寇です。太宰権帥(だざいのごんのそつ)藤原隆家の指揮の下で九州の武士たちが撃退したと言われています。今回は…

9世紀以降の俘囚(帰化した蝦夷)の相次ぐ反乱ついて考察してみる

平安時代の災害史を探している際、度々目にした俘囚が気になったので調べて考察してみました。 今日は、俘囚(帰化した蝦夷)ついて書いていきたいと思います。

平安時代の災害史

平安時代は災害の多い時代で、その災害が政治にも大きく影響しました。どれだけの災害がいつ頃あったのかを知ることで、怨霊が信じられた背景やそれに伴う幾度かの天皇の譲位、庶民が税から何故逃れようとしたのか??少しは近づけるのではないかなと思いま…

藤原純友の乱はどうして起こったのか?を調べてみる

少し間が空いてしまいましたが、935年以降に続いた下総の私闘で最終的には国司への反乱にまで発展した平将門の乱について以前お話ししたかと思います。 今回は、その平将門の乱と合わせて『承平天慶の乱(当時の元号に由来)』とも呼ばれる『藤原純友の乱』…

四等官制について

これまでの記事の中に『掾』とか『守』とか『介』なんて用語が何度か出てきているのに直接この用語を解説する機会がなかったので、この役職について調べていこうと思います。 では始まりです。

歴史を学んでどう活かすかを考えてみる

ビジネス関係の雑誌や本を読んだりもしているので少しばかりその影響を受けて今回は記事を書かせてもらっています。なので、純粋に趣味として楽しんでいる方、仕事を思い出したくない方はスルーした方が良いかもしれません。 単なる個人的に思う事を語ってい…

平安時代前期~中期前半に起きた出来事・人物まとめ

これまで平安時代に起きた事件や人物など多く出てきましたし、今後も増えていきそうなので、年表にしてみました。時代の流れごとに分かり易くリンクを貼っていきたいと思います。一応今まで書いた内容に沿って作っています。リンクもこれから増やす予定です。

菅原道真を調べてみる【その2】

前回は菅原道真と宇多天皇がどんな人物だったのか、道真は宇多天皇の下で異例の出世を果たしたことを書いていきました。 その妬み嫉みが道真にどう影響していったのかを見ていきましょう。では始まります。

菅原道真について調べてみる

前回は菅原道真と平将門の関係については書きましたが、肝心の菅原道真についてはまだでしたので、今回は早速書かせていただきます。菅原道真と言えば、やはりインテリのイメージです。政治家の顔と同時に文学者、学者としての顔もありますね。 今回はそんな…

平将門と菅原道真との繋がりを見てみよう

前回の平将門について書かれたのが将門記。この将門記に少し意外な人物の名が載っています。その人物は菅原道真。まだ当ブログでは扱っていませんが、学問の神様として有名です。 平将門の変が起こる30年以上も前に亡くなった菅原道真が何故出て来るのかを見…

平将門の乱が起こった背景を調べてみる

かなり昔のものになりますが、昭和45年のNHKで放送された「日本史探訪」という番組で平将門について故・赤城宗徳氏と故・大岡昇平氏とが対談されています。この対談内容をまとめた書籍を手にすることが出来ました。 赤城氏は平将門を研究、大岡氏はフランス…