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日本史の大まかな流れ 【飛鳥時代、奈良時代】

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飛鳥時代奈良時代の大まかな流れを書いていきます。

 

重要用語を取り入れていて流れを書いていこういこうという試みのため、まとめの用になっています。

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飛鳥時代 ・・・ 592年 ~ 710年

崇峻天皇の暗殺後、推古天皇が即位して飛鳥(現在の奈良県)に都を置いた時代。聖徳太子摂政になり、冠位十二階十七条憲法を制定するなど天皇中心の国家体制を築きます。

小野妹子遣隋使を始めたのもこの時代で、積極的に(618年に隋が倒れたので、それ以後は遣唐使)の文化や制度などを学びました。 

 

一方で、蘇我一族の専横が原因となって中臣鎌足中大兄皇子による大化の改新にまで発展。その後、対外戦争が起こったり(白村江の戦い)、天智天皇の没後に後継者争いなどが理由で壬申の乱が発生したりと混乱を極めることとなります。なお、国号が倭から日本に変わったのはこの頃です。

 

壬申の乱勝利した天武天皇大宝律令の制定に加え、戸籍班田収授法と呼ばれる田んぼの管理と租調庸などの税を治める仕組みを作り、中央集権的な国家整備を進めます。また、国史編纂事業も開始。その後、2人の天皇が即位し飛鳥時代終了。

 

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奈良時代 ・・・710年~794年 または784年

飛鳥時代の都では、排水での不備や臣下が宮殿を見下ろすといった立地の悪さの他、飛鳥地方周辺の旧豪族らの力をそぐなどの目的から都を奈良の平城京へ移してからの時代を指しています。

 

唐の影響が非常に強く、平城京の造り以外に天平文化と呼ばれる奈良時代の文化にも唐の面影が見られます。

 

また、藤原氏が政争の末に勢力を伸ばし始める時期ともいえます。政治的混乱に大陸との交流で広がった疫病、更には飢饉なども加わったことから、聖武天皇仏教によって治めようとしたようです(鎮護国家の思想)。

 

重い税負担で逃げ出す農民が増えたことから農業政策が変化(三世一身法墾田永年私財法)。貴族や豪族の私有地が拡大(荘園が発生)。当初は良かったのですが、そのうち農民の貧富の差も拡大し、末期には税の滞納や兵士の弱体化にまで繋がっていきます。

 

地方は60余りの国に分けられて、政治経済の中心地・国府がおかれ、朝廷からは国司が派遣されました。

 

また、飛鳥時代に始まった国史編纂事業により古事記日本書紀が完成したのもこの時代です。

 

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 ※2017年6月22日更新