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日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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奈良のピラミッド

歴史関連のニュース

最近はブログではなくサイトを開設できるよう動いております。なかなか進めませんが…

そんなわけで今回も歴史のニュース。今回も浪漫が感じられるニュースでした。結構話題になっているようですね。

奈良・都塚古墳蘇我稲目の墓か

ピラミッド形の大型方墳

2014年08月13日 19時21分

 

奈良県明日香村の都塚古墳(6世紀後半)は階段状に石積みされた大型方墳と分かり、調査した村教育委員会と関西大考古学研究室が13日、発表した。方墳は墳丘を土で2、3段に築くが、都塚はピラミッドのような特異な外観だったとみられ、国内では例がほとんどないという。

 規模も一辺約40メートルと判明、当時の天皇陵に匹敵する。飛鳥時代の大豪族蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(7世紀前半)を見下ろす場所にあり、馬子の父稲目(570年没)の墓との見方も出ている。

 都塚古墳は1967年、関西大が発掘し、30メートル規模の方墳か円墳とみられていた。

 

奈良・都塚古墳、蘇我稲目の墓か|佐賀新聞 電子版より

 

 

6世紀後半の時代ということで、大体古墳時代の末期から飛鳥時代といったところでしょうか。この墓の持ち主の有力な説として、蘇我稲目が挙がってますが。

 

まず蘇我氏について。古墳時代からの有力な豪族ですが、後世の歴史書でも記述されるようになる「きっかけ」となったのは、やはり物部氏との対立が大きいでしょう。

 

物部氏は、日本における昔からの信仰(八百万の神様)を重んじる一族でした。一方、蘇我氏は渡来人との関係の深い一族です。ここから対立に至り、最終的に物部氏はその後あまり歴史上に姿を現しません(江戸時代の幕臣になった方はいたようですが)。

 

 

次はピラミッドについてです。

 

ピラミッドと言えば紀元前のエジプトが有名ですが、実はエジプト以外にも中南米やヨーロッパ、中国や東南アジアでも見つかっているようです。

 

中国でのピラミッドは、時期的に前漢(BC206-AD8)の頃に咸陽の辺りで作られたものだそう(五陵原と言う複数の皇帝の陵墓です)。咸陽は前漢以前の首都で、戦乱により破壊された結果咸陽のお隣に作られたのが前漢の首都・長安になります。

 

 

実を言うと日本には他にもピラミッドではないか?と言われている山がいくつかあります。時期的には縄文時代じゃないかとされています。

 

青森の黒又山や富山の尖山、広島県の葦嶽山などです。人工物ではないけど綺麗な形をしていれば上に祭壇などを祀って信仰の対象にする場合もあったのでしょう。あるいは本当に全てが人工物なのかもしれません。

 

ただ、研究自体が下火になっているため日本のピラミッド説が提唱されて1年後の昭和10年以降ほぼ進んでいないようです。

 

 

 

どちらにしても、蘇我氏のお墓ということであれば時期的にも背景的にも渡来人から聞いて作ったという可能性が高く、妥当な考え方なのかなと思います。さすがに縄文時代に信仰されていた日本版ピラミッドが古墳時代の6世紀後半にポッと出て来るとは思えませんし。

 

まぁこれを機に日本のピラミッドの研究が進むと面白そうだなとは思います。