日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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日本史の大まかな流れ   【南北朝時代と室町時代、戦国時代、安土桃山時代】

毎度毎度日本史の大まかな流れなんて題名掲げながら、流れと重要語を織り交ぜているため長ったらしい文章です。なので手っ取り早く知りたいなら日本史の流れ(かなり簡略したやつ)を参考にして下さい。

 

今回は南北朝室町時代、戦国時代です。では始めます。

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南北朝時代 ・・・ 1336(1333)年 ~ 1392年(室町時代の初期)

鎌倉時代に交代で皇位につく両統迭立をとることになった持明院統大覚寺統鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇天皇中心の新しい政治・建武の親政開始。ところが、その頃は既に武士の力に頼る時代でもあったので武士達から猛反発。

 

そんな中、鎌倉時代の執権に就いていた北条氏が反乱。鎌倉幕府滅亡に一役買った足利尊氏はこれを機に後醍醐天皇に反旗を翻して持明院統光明天皇を立てて京都で室町幕府創始

 

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京の南方にある吉野に逃げ延びた後醍醐天皇は自身を正当な天皇であると主張。結果、京都の北朝と吉野の南朝が対立する南北朝の動乱が起こることに。

 

途中で北朝側に内紛がおこったりと動乱は拡大・長期化。約60年にわたる動乱の終止符を打ったのは、室町幕府の3代目足利義満南朝側との交渉で1392年南北朝の合体を実現させた。

 

 

 

 

室町時代 ・・・ 1336年~1573年(15代将軍足利義昭が追放されるまで)

           

室町幕府の始まりは南北朝時代の記述通りで、足利尊氏光明天皇をたてて建武式目を発表後、京都で幕府を立てたことが始まり。時代の始まりと終わりの時期が非常に曖昧な時代である。

 

実は 南北朝の動乱の中で徐々に大きな力を持つようになった者達がいる。それが、鎌倉時代以降正式に置かれるようになった守護である。守護は地方武士の組織化を目的に権限が強化され、荘園や公領を支配下に入れるほどになり、守護大名と呼ばれるまで成長。

 

一方で、庶民の間では荘園領主らに抵抗したり戦乱から村落を守るために自治的性格を持つ惣村と呼ばれる結びつきが出来てくる。彼らは警察や裁判なども行うほか武力も備えていた。始めのうちは愁訴・強訴・逃散などの手段を使って領主らに抵抗したが、地域的に持つ広いつながりを武器に土一揆という武力蜂起を起こすまでになる。

 

惣村の発達は市民の生活に賑わいを与え、と呼ばれる市場(月に6回)が発達。食事も以前と比較すると豊かになり一日2食から3食へ、お茶の栽培も開始。

 

ただし、と呼ばれる税を納めた見返りにある地域での商品売買の独占権等があったり関所があることで自由な売買ができず、商工業の発展を妨げていたという。

 

 

結果、荘園領主や国人(地方在住の武士)達は守護大名の力を借りるようになり、ますます守護大名の力が強くなってくるが、この惣村もまた守護大名と実力で対抗できるほどに強くなっていく。

 

さて、幕府はと言うと・・・

5代将軍・義教死後は守護大名の勢力争いの場なるほど力が周囲に埋もれていく。細川勝元山名持豊(宗全)を中心とした二大勢力の抗争、斯波・畠山などの抗争が応仁の乱まで発展。

 

更にこの頃、家督・財産の相続が分割相続から単独相続へと完全に変化。ところが、この相続する人間が「誰」とは正確に決まっていなかったため、地位を巡っての争いが増加。一族や家臣団の間での抗争も増えていくにつれ、地位の低い者の実力が強化されるように。所謂、下剋上の風潮が強くなってくる。

 

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 戦国時代 ・・・ 1467(応仁の乱)年 または 1493(明応の政変)年

            ~1568(織田信長の入京)年

                      または1590(秀吉天下統一)年※

※一部研究者の間では、大坂の陣が終了までとされている考え方も…

 

 下剋上の風潮が全国的となり、実力をつけた様々な大名が争いはじめる。これらの大名を戦国大名と呼ぶ。守護大名戦国大名に成長したのは武田・今川・大友・島津など少数派。国人や守護代が成り上がった者が多数派だった模様。

 

この頃、世界的にはいわゆる大航海時代である。鹿児島の種子島ポルトガルが着き、南蛮貿易をはじめる。鉄砲が伝来し、それまでの戦法が変化。同時にキリスト教も広がりを見せるようになる(が、割とすぐに禁止されることに)。

 

経済力をつけるため、自由経済市場を作り座を解散する楽市楽座の制度を勧めたり関所を廃止させたりした織田信長が全国統一を目前に死亡(本能寺の変)、豊臣秀吉が事業を引き継ぎ全国を統一させる。

 

豊臣秀吉は、刀狩太閤検地を実施して全国の土地を把握。荘園制での多重支配は否定され、ここで荘園制は完全に終わり(荘園はここを参考に)を遂げる。

 

秀吉は対外政策にも積極的に行っている。倭寇等の禁止と東南アジア方面への日本船進出。朝鮮出兵などである。

 

が、朝鮮出兵中に秀吉は死亡。最終的に徳川家康が政権を握ることになる。なお安土桃山時代とは織田信長豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代を指す。

 

 

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