日本史が好きになる?歴史ブログ

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縄文時代の遺跡群と現況報告です

お久しぶりです。以下は現在の状況と、調べた際の感想やら気になる点などをまとめています。意外にも長くなったので折りたたんでおきます。

 

 以前から話していたように、現在はサイト作成を中心に行っている所です。が、思っていた以上に縄文時代の後期で筆が進まない状況に陥っております。これだけブログの更新が遅いくせにまだ縄文時代かと言う感じもしますが…

 

とにかく最近は縄文時代の遺跡を調べていたわけですが、北から順に一つずつ検索かけておりました。

 

中期までは大体東北までの遺跡を調べれば、「縄文時代の○○期には○○遺跡や△△遺跡があったよ」という事が割と簡単に分かったのですが、縄文時代の後期に入ると東北の遺跡の少ないこと少ないこと。

 

そんな理由から、なかなか縄文後期の遺跡が納得いく数にまで増えないため、ブログも更新できずサイトもアップする事が出来ずというのが現状です。

 

逆に言えば、縄文時代の後半から東北で栄えていた縄文文化が陰りを見せ始めた証とも言う事が出来るかと思います。

 

 

 

 

調べていくと、「縄文後期あたりの時期から徐々に東日本⇒西日本への移動が始まっていたのでは?」ということが様々なサイトで書かれているのをよく見かけます。

 

元々東北に住んでいた人々は寒い地方から渡ってきた人々で、温暖な地方へ行くよりは少々涼しい気候の元で過ごした方が良いということで、縄文後期までは移住することが少なかったそうです(出典元を忘れた自分の記憶頼りの発言なので注意)

 

「縄文後期の東北の遺跡の少なさと西日本の遺跡の増加は、東日本から西日本への移動した証拠なのかな~」ということを考えながらチビチビと作成しております。

 

まぁ縄文時代の各地方の人口については発見された遺跡から推定されたものだそうなので当然と言えば当然なのですが。

 

 

 

さて、その温暖な気候の場所への移住の件ですが何やら寒冷化だけが理由ではないという説も調べていくうちに見つけました。

 

大前提として縄文時代の前半期の人口増加は農耕によるものだったことを頭の片隅に入れておいてください。どうやら、近年の微細な植物検査によって縄文時代には既に農耕があったことが否定できないようです

 

以前はこの説は本でも見かけていましたが、誰がこの説を唱えているかまでは把握しておらず、真剣に取り合っていませんでした。それだけ縄文≠農耕社会が自分の中で常識化していたんでしょうね。

 

実を言うと、日本だけではなく欧州でも農耕が始まり遺跡が増加した後に何故だか急に人口が減少していたそうで、日本の縄文時代の人口減少と非常によく似た傾向が見られています。

 

社会が安定すると人口が減少するという点は現代の社会に通じるものがあるかもしれませんね。この問題はおそらく安定した社会に住む人々の心理面も関係していそうなので調べていくのは難しそうですが、少し楽しみだったりします。