日本史が好きになる?歴史ブログ

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古墳が作られるようになったわけ その2

九州北部~瀬戸内海~畿内で戦争があったとした場合、九州北部以外で鉄を手に入れる時に吉備・出雲・丹波国あたりに仲介してもらったのではないか?と前回の記事で書かせてもらいました。

 

その際、鉄を手に入れるために倭国から出した対価とは一体何だったのか??そこに古墳が作られるヒントが隠されていると思うのでまとめてみます。

 

鉄以外の特産についてです。

 

吉備、出雲や丹波国では翡翠・緑色凝灰岩などから貴重な管玉が作られています。丹波では水晶玉も作られていたようです。また、吉備ではも特産として知られています。

 

中国では長い間塩は庶民から金持ちまで必要な物のため専売制が敷かれており、後漢(紀元後25-220年)の時期も例外ではありませんでした。財政の理由は勿論ですが、馬を飼うのに必要(=軍事力)だったのも理由かもしれません。

 

玉はその地域によって産出されるものが異なります。現在の中国でいう四川省江蘇省で水晶は産出されていますが、極一部の地域です。貴重だったと思われます。朝鮮半島でも同様に貴重なものでした。

 

また、 日本で産出される硬玉の翡翠は中国や朝鮮半島では取ることができません。アジアで採れる地域はほぼ日本とミャンマーに限られていると言います。

 

おそらくは、これらの玉を中心としたものが鉄と交換されていたのではないでしょうか?もしくは生口(捕虜または奴隷)も送っていたのかもしれません。

 

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さらに、日本側からしてみると鉄を入手するために必要な点がいくつかあります。

 

  鉄を得るための交渉窓口

  相手からの信頼を得るだけの地位

  時には武力の誇示  ・・・ 等が考えられます。

 

 

上記のようなものが必要になってくるとなると、小さな社会での「農耕や戦いのリーダー」という立場の人間だけでは交渉が厳しくなるでしょう。ムラを大きくする必要性が出てきます。この過程でクニが出来たと考えるのが自然です。

 

そんな中で吉備や出雲などの日本海側で大酋長とも呼べるような人物が現れ始めます。墳丘墓と呼ばれる墓も紀元後2世以降見られるようになってきます。

 

おそらくは前回記事で述べた高地性集落の存在意義の一つ「上下関係」といった心理面が墳丘墓には影響したと思われます。

 

大きく高い位置に墓を作れるほどの「権威を持っている」ことは、相手からの信頼を得るだけの地位を持ち、それだけの人物を動員できる(=武力)ことを暗に示すことになったのではないでしょうか?

 

 

 

鉄の必要性が出て来る

鉄の窓口が必要

相手からの信頼を得るための地位を

得るため酋長が権威化

鉄を得てくる酋長への依存度 ↑↑

権威を墓で示すように

古墳時代

 

 

おおよそ、このような流れだったのではないかと考えられるかと思います。

 

後漢書東夷伝に書かれた紀元後57年の「漢委奴国王」の金印や生口160人の記述やその後の朝貢は、この一連の流れの一端を示しているのでしょう。朝鮮南部への影響力を考慮した上での外交政策だったようです。

 

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弥生時代及び併行期の東アジアにおけるガラス製品の考古学的研究 - 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

勾玉の歴史

https://www.pref.kagawa.lg.jp/maibun/inishienosanuki/inishienosanuki73.pdf

http://www.pref.shimane.lg.jp/maizobunkazai/maibuninformationboard/books/dokimai.data/26_4-5.pdf

岡山県古代吉備文化財センター 古代吉備を探る2

「日本と朝鮮半島2000年 上」  

    NHK「日本と朝鮮半島2000年」プロジェクト 2010年

「旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 」  松本武彦著 小学館 2007年

 

 

 

古墳とヤマト政権―古代国家はいかに形成されたか (文春新書 (036))

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