日本史が好きになる?歴史ブログ

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シルクロードと飛鳥文化

最近もう少し見やすい様にサイトデザインを変えようと奮闘しているのですが、なかなか進めません。とは言え、ようやく終わりが見えてきたので久しぶりにブログに記事を投下します。テーマはシルクロード飛鳥文化です。どうぞ。

 

飛鳥文化とは?名前の通り、飛鳥時代に広まった文化ですが『仏教中心』という特色を持っています。今回は飛鳥時代に重要視された『仏教』やその他の飛鳥文化に代表される品がどうやって日本に来たか?を中心に調べていきます。

 

 

さて。6~7世紀前半頃、豪族たちの権威を裏付けるものは古墳から寺の建立へと変わっていきます。

 

元々、古墳を作るのは田んぼを作るためという理由もありました(古墳を盛り上げるための土を掘り起こすことで、掘り起こした部分が貯水池の役目をしていたそう)。また、仏教の伝来や寺の建立(軍事拠点や天皇の宮の代わりとして代用できる)も当時の国際情勢に基づいての事では?と考えられているように、状況に応じた公共事業としての側面が見え隠れします。

 

同時に、古墳・寺どちらの場合も、どの位人を動かせるのか?技術があるのか?を他国(特に日本国内の反勢力)や仲の悪い豪族に見せつける必要もあったと考えられます。また、大国との交流をはかり情報を知っていること、珍しい物を得るだけのルートや交渉力があると示すことも反乱などの抑止力に繋がったのではないでしょうか?(ただのコレクターという人も中にはいたかもしれませんが;;)

 

私自身、上記のように考えているので他国の珍しい品物を集める事は自然なことだと考えています。この時、日本へ珍しい品や仏教が入ってくるルートとなったのがシルクロードです。

 

 

 

シルクロードと言えば、西はローマ、中継地点に中東、東に中国のイメージがある事でしょう。中東はメソポタミア文明の発祥した地で元々緑地が広がる豊かな土地でしたが、度重なる灌漑排水システムの破壊と再建、更には気候の問題で耕地に塩分が残る事態となり砂漠化が進みました。

 

そんな中東で、226年に建国したササン朝ペルシアという帝国が絹の交易における要所、道中絶対に必要なオアシスを結んだ道を支配することになります(交易の際にはペルシアを必ず通る必要があった訳です)。この国は西のローマ、東の中国インドとも活発に交流しています。

 

 

だんだん繋がってきたかと思いますが、続けます。

 

仏教は紀元前5世紀頃にインドで発生し、紀元前3世紀以降シルクロードインド洋を経て、東南アジア各国や中国、朝鮮半島、最終的には日本へと伝播。インドでも本土の美術様式に加え、ギリシャやシリア、ペルシアといった西方の美術様式を取り入れたガンダーラ美術が発展。中国では北朝南朝でそれぞれ北魏様式南梁様式と呼ばれる造形の仏像が作られますが、こちらも古代ギリシャの影響を受けています。

 

日本で飛鳥文化として見つかっている仏教関連の建築物・工芸品などは、やはりローマササン朝ヘレニズム文明オリエント文明+ギリシア文明)、中国の南北朝時代インドの影響を受けたもので、シルクロードを通ってきたことがわかります。

 

 

 

 ※ヘレニズム文明が生まれた背景には、東西世界の融合を目指したバルカン半島中央部に台頭したマケドニアの王・アレクサンドロスの存在があります。短い期間で広い範囲を征服したアレクサンドロスは、遠征中に70以上の都市を建設し、多くのギリシア人を移住させたそうです。結果、オリエント文明に広くギリシア文明が浸透することとなりました。なお、オリエント地方は現在のイラン、イラク、シリア、トルコ、レバノン、ヨルダン、イスラエルサウジアラビア、エジプトなどの国々にまたがる地域を一般的には指しています。

 

 

このシルクロードの交易に積極的にかかわった民族の中には突厥(とつけつ)もいます。の策により東西に分裂した中央アジアの覇者で、の崩壊の一因になった民族でもあります。聖徳太子があのような強気な外交政策に出られたのも彼らがいたから・・・と考えると、この頃も今とそう変わらないんだなと思います。