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日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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奈良時代の税のはなし、租・調・庸

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現在でも、奈良時代でも税金は払わなくてはいけません。

 

今回は大宝律令以降に定められた民衆にかかる税金の話をしていきます。

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律令国となった日本では、と呼ばれる25名ほどの組織のようなものがあり、その戸に所属する形で戸籍・計帳に登録されていました。戸籍に登録された農民達には口分田が与えられると同時に、様々な税や義務が与えられています。

 

と呼ばれる組織は5つ集まると、五保という連帯義務を持つ集団となります。このような連帯義務を設けた理由は・・・もちろん民衆が逃げないようにするためです。

 

では、実際にどんな税や義務があったのか見てみましょう。

 

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租・調・庸がどんなものなのか?は上記の通りなので割愛しますが、が何故京と畿内だけ免除されているのか?少々突っ込んでみようと思います。

 

平城京は遷都以前、ごく普通の農村だったと言われています。そんな中で平城京は造営されていきますが、この造営にあたって多くの農民が移転してきました。

 

ここで「」に注目してみてください。元は「都の労役」だったものが布などに変わったわけですから、この都の労役(=歳役)を誰かが担わなくてはなりません。この労役を担ったのが京や畿内周辺の民衆でした(元々の歳役というのは食糧持参で行う労役のことを指しています

 

その一方で、平城京遷都が決まってから実際に労役を行った708年には布や米が保証されたとの記載があります。これら保証のある労役を雇役(こえき)と言い、歳役とはまた違うもののようですが・・・

  

『古代王権と官僚制』という書籍に

 賦役令の検討から歳役と雇役が実は同一であり、律令制下の畿内は国家を直接支える役割から雑徭の負担が重くなるのであり、畿内と畿外には支配形態上の本質的差異は認められない(以下略)

と書かれています。実際に日本で歳役は行われていなかったという話もあるので、歳役=雇役と考えて良いように思います。

 

※京には多くの上流階級の人たちが住んでいることもあって畿内の住民は庶民でも他の地域よりも上だから税が免除された、という説(←少々乱暴ですが、概ねこんな内容です)があるため、本質的差異の話が出ています。

 

ここからはあくまで私の推測ですが。10万人都市の平城京には7000人の役人とそれ以外の民衆が住んでいました。現在まで残っている奈良盆地の田園風景はこの時代の名残とも言われおり、民衆は平城京から奈良盆地まで通ったと想像できます。都を造りつつ盆地まで行って畑仕事をする。その上で、調・庸を通常通り納めるとなると平城京の造営自体に支障が出て来るのでは?ということで、これが平城京畿内の人々が調・庸を免除されていた理由だと思われます。

 

 

 

 

さて、この他にも兵役、仕丁、出挙などの言葉が出て来ることがあるので簡単に説明します。

 

  • 兵役:成人男性3~4人に1人の割合で徴兵。諸国の軍団で訓練を受ける。その一部は衛士(えじ、宮城の警備)や防人(さきもり、九州の沿岸を守る)となる。

 

  • 仕丁:50戸(里または郷)につき2人ずつ選ばれる中央官庁や親王家・大臣家に雑用として仕えた。

 

  • 出挙(すいこ):春先に稲を種籾ように貸し付けをし、秋の収穫時に利息に徴収される(⇒公で行う出挙を公出挙(くすいこ)、民間では私出挙と呼ばれる)

 

 他に義倉(ぎそう)という、災害など万が一のための食糧保管庫に入れる用途で穀物を徴収しています。保存のために時々安く売りだしたり貸し付けたりしていたようです。