読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

利用枠の上限について スポンサードリンク

土地政策の転換

f:id:miumaga:20170226131450p:plain

今回は土地政策の転換・・・かの有名な三世一身法墾田永年私財法です。奈良時代における影響だけでなく、武士の誕生にも関わる重要な事柄になります。では始まりです。

スポンサードリンク

 

奈良時代には律令制度によって農業施策が決められていましたが、農民の負担が大きくなっていたこと、虫害や天候不順からの飢饉が起こりやすい状況だったこと、人口増加による口分田の不足に陥ったことでその施策を変える必要が出てきました。

 

そこで、722年には農民に食糧や道具を支給して10日間の開墾に従事させる百万町歩(ひゃくまんちょうぶ)の開墾計画を行いますが、失敗に終わります。次に出した対策は723年の三世一身法(さんぜいっしんほう)です。

 

三世一身法は、「新しく灌漑施設を作って未開地を開墾した人は、三世代に渡って田地を保有しても良いですよ」という政策です。一方、「それまでもあった灌漑施設を使った場合は1世代のみの保有」となります。

 

今まで「土地=朝廷の物」としてきたものが開墾次第で自分の手に入るという事で頑張った人たちが出てきて、一時期には効果を上げますが「新たな灌漑施設の制作と開墾では手間がかかり過ぎて割に合わない」という結論に行き着き、次第に新たな土地での開墾は行き詰っていきます。

 

そこで新たに制定したのが743年の墾田永年私財法です。開墾した田地の永年の保有を認めるという施策です。そうは言っても、墾田出来る面積は身分によって違ったわけですが。

 

とにかく、この墾田永年私財法が出来たことで人をたくさん集められる貴族や寺院が大きな力をつけて行くことになります。何しろ、税逃れで浮浪人となった人たちも当時は大勢いたわけで労働力を集めることは楽にできたはずです。その他に周囲の農民も労働力として換算されていたようです。この時に大規模な原野の開墾、灌漑施設の造営を行った場所は、初期荘園と呼ばれるようになります。

 

一方の農民もその法に上手く乗れた者達は豊かになることが出来ました。税関連の話で出した『出挙』には、公から種籾の貸し出し・公出挙以外に余裕のある農民が行った私出挙とがありました。これにより農民間でも更に貧富の差が更に拡大することになります。そして、豊かになった有力農民たちの中には経営拡大のために税負担を逃れようとして私度僧(手続きなしで勝手に僧侶となる)になったり浮浪したり貴族の従者になったりした者もいたそうです。

 

良い面があれば上手くいかなくなった人達も出てきます。各種税に加え、周辺貴族や寺院への協力、私出挙での稲の返却などから困窮した農民も当然出てきます。彼らもまた浮浪逃亡することになり、次第に調・庸の品質が悪化滞納も増えてくるようになりました。

 

結果、8世紀末頃には兵士の弱体化や国家財政・軍備への悪影響が本格的になってしまいます。

 

これが行財政の簡素化や公民の負担軽減といった政治再建政策をしようという動きとなり、当時力をつけてきた平城京付近の寺や仏教からの影響を排除しよう遷都する方向へ政治が動き出すきっかけにもなりました。