日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

スポンサードリンク

トイレの歴史は人類の歴史、あまりの事で驚きを隠せません

f:id:miumaga:20171004205850j:plain

トイレの歴史は人類の歴史とも言えます。

あの栄華を極めたベルサイユ宮殿や中世のヨーロッパの街がトイレ問題に苦しみ糞尿で溢れかえっていました。これだけでも驚きを隠せませんが、他にも現代では考えられない昔のトイレ事情を見ると、これまでの世界観が覆ってしまう事でしょう。

 

今日は、世界と日本のトイレ事情を書いていきたいと思います。

※食事中の方は、観閲を控えてください…

スポンサードリンク

 

中世ヨーロッパのトイレ事情

まずは、中世ヨーロッパから見ていきましょう。

現在では考えられませんが、中世ヨーロッパでは窓から排せつ物が投げ捨てられていました。そのため、中世から近世にかけての数百年間、パリの路上には人や動物の糞尿があふれて、生ごみが散乱していました。セーヌ川には、虐殺された牛や豚の内臓や血が途切れることなく流れ込んでいたそうです。

 

ヨーロッパーと言えば、古代ローマ帝国が栄えた地域で、古代ローマ人が作り出した立派な水洗技術は中世のヨーロッパには受け継がれず、逆にトイレ文化が退化した黒歴史でした。

 

一般の家には、トイレと言うものがなく、住民はおまるを使用して用を足していました。そのおまるがいっぱいになると、定められた場所に捨てるようになっていましたが、みんなめんどくさがって窓から放り投げるのが習慣になっていたそうです。

 

そのため、うっかり道の端を歩こうものなら、頭上から糞尿が降ってきたそうです。

街は悪臭に満ち溢れ、それは王宮にまで及びました。この下水技術が発展していなかったため、ペストなどの疫病が猛威を振るうようになり、数千万の命が犠牲になりました。

 

排泄を恥ずかしいとみなすキリスト教の考えから、個室トイレが貴族や財力のある修道院を中心に発達しますが、弱小貴族や一般庶民の間では、おまるが使用されてたようです。

 

その貴族階級に普及した個室トイレですが、やはり出したものは外へ直接垂れ流すのもが主流で、おまるに溜まったものを窓に捨てるのとあまり変わりませんでした。


そんな排せつ物の無法地帯なヨーロッパ各地でしたが、1371年にロンドンで排せつ物を窓から捨てた者は罰金と言う法律が作られました。他にも、フランスやポーランドなどのヨーロッパ各地で同様な法律が制定されましたが、監視の目を掻い潜って汚物を捨てる者が後を絶たず、法律が機能していなかったようです。

 

 

栄華を極めたベルサイユ宮殿のトイレ事情

17世紀、ルイ14世ルーヴル宮殿が汚物まみれになったため、ベルサイユ宮殿に引っ越したと言われています。ヨーロッパ全体のトイレ事情が垂れ流し状態だったため、当然王様の住む宮殿も垂れ流し状態だったようです。一説によると、1つの城に長く住みつづけると、その城に糞尿が溜まって不潔なので、城から城へ渡り歩いていたそうです。

 

一応、まともな理由もあるようで、当時の国王の権力が、国の隅々まで浸透していなかったため、直接地方に行き国王の権威を誇示するために引っ越しをしていたともされています。

 

 

栄華を極めたベルサイユ宮殿では、トイレとした独立した部屋はなく、ルイ14世の頃には、274個の椅子式便器(おまる)がありました。イメージとしては、介護用のポータブルトイレみたいなものだったのでしょう。

 

アロン化成 安寿 家具調トイレ コンパクト 標準便座

アロン化成 安寿 家具調トイレ コンパクト 標準便座

 

 

しかし、274個のポータブルトイレがあったが、ベルサイユ宮殿には1000人の王侯貴族と4000人の召使いが出入りしていましたから、足りるはずがありません。しかも驚いたことに、宮殿には水道が通じていたのにもかかわらず、トイレに使われずもっぱら噴水に使われていたそうです。

 

このポータブルトイレは、もっぱら貴族たちが使用していたようで、宮殿で働いている召使いたちはやはり、おまるを使用していたようです。これらから出た糞尿たちは、やはり中庭や通路、回廊などに捨てられていたようで、宮殿中、悪臭漂う状態だったようで、廊下のハズレは汚物でごった返していたとも言われています。

 

ルイ15世の時代になると、便座の横にコックを引き、天井裏の水槽から水が出てくる方式の水洗トイレが出てきたが、やはり数も少なく王族専用となっていたため、使用人はやはりおまるの使用を余儀なくされていました。

 

実はトイレの事情が原因で発明された意外なもの

ハイヒールやブーツ

当時、町中に高く積もった汚物を避けるために、ハイヒールや物などの丈の長い靴が考案されたと言われています。当時のハイヒールは、こうした道路を歩くために、男性がはいていたと言われています。

また、靴に履く靴など本末転倒なものまで発明されていたようです。

香水

宮殿内のひどい匂いをごまかすためやお風呂屋シャワーの文化がなかったために、体臭をごまかすために香水文化が発展しました。

フープスカート

舞踏会に参加した女性が、庭の鉢植えに立ち小便をしたとも言われています。このころの作法書には、【尿意を感じたらすぐさま放出すべき】と書かれているとか。

その時に、立ったまま廊下や部屋の隅、庭の茂みで用を足しやすいようにと生まれたのがフープスカートと言われています。廊下や部屋の隅で立小便って…

日傘

日傘は、道路を歩いていた時に上から降ってくる排せつ物から身を守るために中世ヨーロッパで流行りました。同じ用途から、シルクハットやマントなども普及しました。


スポンサードリンク

 

 

日本のトイレの歴史

ここまでヨーロッパを中心にトイレ事情を書いてきましたが、ここで日本のトイレの歴史を見てみましょう。

 

日本でトイレが登場するのは、縄文時代で川に板を張り出して排泄をして、登記のかけらを神代わりに使用していたようです。中世のヨーロッパよりも極めて衛生的な仕組みが縄文時代で完成されていました。

 

飛鳥時代になると、川を屋内に引き込むようになり、木片を神代わりに使用するようになります。川を屋内にと言う事で、トイレの事を【かわや】と呼ばれる語源となりました。

 

 

貴族の時代の平安時代は、やはりおまるだった

平安時代になると、貴族たちは【樋殿(ひどの)】【樋筥(ひのはこ)】とよばれる携帯型トイレを使用して、排泄後には紙を使用するようになりました。

鎌倉時代になると、人の糞尿を肥料として使用するようになり、汲み取り式トイレが普及します。その後、トイレは住居の一部に組み込まれるようになります。


時代は流れ江戸時代になると、糞尿は肥料として使用されるようになります。

専門に糞尿を集める汲み取り業者が現れて、関東各地へ肥船で運び出されていました。当時、人口100万人以上いたのにもかかわらず、街が清潔に保たれた背景には、ヨーロッパで始末に困っていた糞尿を肥料として使用して、農業の生産性を高める循環システムが確立されていたためです。

 

また、糞尿には等級があって、食生活が豊かな大名屋敷や大店からでる糞尿は効果で取引されていました。

 

日本人はこのように熱心に排せつ物を集めていたのは、決して経済的な理由からではありませんでした。日本には、【万の神】と称して古来より森羅万象に八百万の神が宿ると信じられていました。その中で、厠神(トイレの神様)も重要な神様でした。そのため、むやみに糞尿を投げ捨てることが、罰当たりであると意識があり、清潔に保つ習慣がついていたとも言われています。

 

 

将軍のトイレは冷暖房完備だった!?

江戸時代には、幕府公認の豪華公衆トイレが作られました。

板で囲った大きな大便受けと、小便溜めのたるが樋でつながっている本格的なものだと記されています。また、便所には間口4.5m、奥行き7.2mの休憩所が設けられていて、腰掛が完備されていました。

 

その利用者には、管理人によるお茶のサービスがありました。

こうした無料の公衆便所は、江戸の町に10ヶ所ほどあったそうです。その運営費は、年間500両(4000万)ほどで、溜められた糞尿を売ったお金で賄われていたそうです。

 

また、将軍様御用達のトイレは、4畳半ほどの広さでした。前方には、女中が控えており、後方に総檜つくりの便器があったそうです。

将軍が用を足しているときに、寒ければ火鉢を置き、尻を暖め、夏は女中が扇子で仰ぎ暑さと蚊を追い払っていました。さらには、用を足した後に女中が柔らかくした紙を使用してお尻を拭くサービスまであったそうです。

 

 

トイレのその後

明治以降になれば、欧米から【洋式トイレ】が伝わり、現代になるとウォシュレットと言った洗浄機能や暖房便座などと言った進化をとげてきました。

 

環境やニーズに合ったトイレづくりが得意なのは、ものつくり大国日本ならでは。

最近では、キャンプ場や山小屋等にバイオトイレと言う、バクテリアの働きで排せつ物を分解して、水や汲み取り不要なトイレも登場しています。

 

こうしたモノ作り大国日本の技術により、日本のトイレは今や世界から認められるほどの高性能・高品質になっています。海外のセレブやハリウッドスターなどが日本のトイレにほれ込み購入したと言う話も聞きます。

 

こうした日本の技術によりトイレはさらに進化し、現在の洋式トイレでさえも形を変える時代が来るかもしれませんね。