日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

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現代ではお目にかかれない【むかしの職業】

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今もたくさんの職業がありますが、江戸時代でもたくさんの職業がありました。

しかし、現代ではちょっと信じられない昔の職業もあり、チョットに興味を持ったので調べてみました。

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羅宇屋(らうや)

昭和30年くらいまで目にする事が出来たそうで、キセルを修理、清掃を行う職人さんの事を言います。羅宇とは、キセルの吸い口部と先端に取り付けられた火皿の雁首とを繋ぐ管の事をいいます。

 

昔は紙巻きたばこが少なかったので、キセルに葉を詰めてタバコを楽しんでいました。キセルって、メンテナンスが面倒らしく、それ専用の職人さんが居て商売になっていたそうです。

 

江戸時代の吉原等の大見世(上等な女郎屋)の太夫上等の遊女)などの間では、位が上ると帯の幅が広くなり、それに合せてその帯に挿す煙管の赤塗りの羅宇も長くする仕来りがあり、煙管の長さで女郎の格をはかることができたそうで、ここで職人さんの出番というわけです。

 

 

冷水売り

日本で容器入りの水が発売されたのが、1983年六甲のおいしい水でした。

しかし、江戸時代でもお水を商売にしていた人がいたそうです。江戸時代末期に書かれた風俗の大書誌『守貞謾稿 (もりさだまんこう)』の挿し絵の中にも書かれており、売り詞は「しゃっこーい、しゃっこい」と呼びこみ販売していたそうです。

夏には砂糖水に白玉を入れて売り歩いていたいたようで、小林一茶の句にも【月かげや夜も水売る日本橋】と書かれていることから一茶の幼少の頃にはまだ冷水売りがあったということがうかがえます。

 

 

留女(とめおんな)

宿場町では日暮れになると【留女】と呼ばれる女たちの旅籠への客引きが盛んに行われていました。それほど、旅籠間の競争が激しいかったので、強引に旅人の荷物や腕をつかみ客を奪い合うほどでした。

 

 

女髪結(おんなかみゆい)

現代では、女性でも髪型を変えた時に美容室で気軽に変えられます。江戸時代でも女性専用の美容師ならぬ【女髪結い】がいました。

 

現在の美容室料金は3000円~5000円くらいですが、江戸時代の女性髪結いの料金は、1回200文で現代の価格で約40000円とかなりの高額となっていました。最初の頃、女髪結いに仕事を頼むのは、遊女や芸者などの一部の女性だけでしたが、やがて一般の女性にも浸透していく事になり、価格もリーズナブルになっていきました。

 

 

三助 & 湯女

日本のお風呂文化には、三助と言う有料で背中を流す仕事がありました。

この職業はかなり古く、諸説ありますが、なんと奈良時代からあるそうです。

つい最近まで、荒川区斉藤湯に最後の三助さんが居たそうで、遠くは北海道からのお客さんが足を運んでいたようです。現在は、閉鎖されたそうで非常に残念でなりません。

 

一方で湯屋で働いていたのは、三助だけではなく、湯女と呼ばれる女性たちも居ました。その仕事は、男性の体を洗うだけではなく、春も売っていたそうです。その実態は、遊女にほかならなかったようで、江戸の初期から湯女を置いた湯屋は非常に繁盛したと言います。


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飛脚

以前、飛脚の記事を書いたことがありましたが、現代でいうと郵便屋さんの走りがこの飛脚です。

rekishi-note.hatenablog.com

 

記事でも触れましたが、この仕事はとてもすごいんです。

簡単に言えば走って書面を届けるお仕事なのですが、当時はすべてアナログで行われていましたので、全て徒歩や走って全国各地に書面を送っていました。

江戸から大阪の距離は当時約500kあり、当時一般の人が歩いたら2週間はかかる道のりを、飛脚は3日~4日で走ったとされています。

 

その飛脚のお弁当が、玄米おにぎりと漬物でこれ一つで一日100㌔以上走れるパワーフードだったそうです。

 


天婦羅屋台

あの初代将軍家康が大好物だったと言われるてんぷらが、屋台になって登場します。

その背景には、てんぷらの作り方にありました。

当時江戸では、火事が一番恐れられおり、室内でてんぷらを揚げていると火事になりやすいことから、屋外でてんぷらを販売するようになったとされています。

てんぷらの具材として、旬の野菜や根菜類、小魚、芝エビ、貝類などがあり、今と同じく天つゆに大根おろしで食べていたようです。

 

また、屋台の特性上、手が汚れないように串に刺して出されていたそうで、てんぷらと言うより、串カツに近い形だったかもしれません。

 

 

油売り

この時代は、明かり用の油天秤棒で担いで売っていました。そのため、油をこぼさぬ様にゆっくり歩いていました。また、油はトロッとしていたので、油を容器に移す際は結構な時間がかかったため、その間お客と世間話をしていました。

そんな様が【油を売る】と言う慣用句の誕生のもとでした。意味としては、無駄話をして時間を浪費して仕事を怠けると言う意味ですが、当時の油売りは別に怠けていたわけではないので、非常に失礼な意味となったわけです。

 

 

 

以上のように、昔は色々な職業がありました。

三助さんは、経験してみたいなと思いまいしたが(実は湯女かもしれませんw)斉藤湯が閉鎖されていたようで非常に残念でなりません。もしかしたら、今当たり前にある職業が、100年後には現代ではお目にかかれない職業になっているかもしれませんね。