日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

元号の歴史

今更感もありますが、今年はいよいよ改元…ということで、これまでの元号を振り返っていきます。

西国最大勢力を誇った大内氏と大内義隆

大内氏は日本の大名では珍しく、百済の王族の末裔と自称していました。 先祖代々、周防国府を世襲した官人から守護大名になり、戦国大名に成長し、周防・長門・石見・豊前・筑前守護職を歴任し、大内義隆の時代には最盛期をむかえ独自の文化も形成しました。

ロシアのバルチック艦隊を撃破した日本艦隊のやってのけた作戦とは!?

近代戦争で最も大きな金星は、日露戦争でしょう。 その中でも【日本海海戦】は、日露戦争の勝敗を決めた戦いとも言われており、その後の日本海軍のターニングポイントともなりました。 rekishi-note.hatenablog.com

細川政元のクーデター明応の政変

<画像wikipediaより引用> 応仁の乱の混乱の中、近江を支配していた六角氏の荘園略奪が目に余ったので、9代将軍・義尚は、六角征伐を行いますが志半ばで死去します。 そうなると、将軍家では再び後継者問題が起こります。

徳川家康の父・松平広忠の悲運な人生に迫る

家康の父・松平広忠の人生を調べていきます。 家康の父親の動きが分からないと、 『家康が何故若い頃に今川氏の影響下にいたのか』 『家康が織田氏とどう繋がりがあったのか』 が分かりにくいので、折角ですから松平広忠の人生を詳しく取り上げていきます。

豊臣秀吉の出世人生!!どのようにして天下人となったのか??

日本の歴史上、超が付くほどの大出世をした人と言えば、豊臣秀吉をおいて他にいません。歴史上有名な人物でも、織田信長・徳川家康につぎ豊臣秀吉の名が上がってきます。 秀吉は、農民の出でありながら、織田信長に仕えドンドンと頭角を現していきます。 そ…

三好氏と畿内の覇権争いをしていた六角氏の戦国時代

応仁の乱の余波が全国に広がると、諸国では国人衆や地侍と言った階層の者たちが、室町幕府の奉公衆や公家、寺社の荘園を武力で奪い取って行きました。 rekishi-note.hatenablog.com

張作霖爆殺事件とは??

張作霖 前回の記事とはだいぶ時代が変わりますが、1928年に日本の関東軍によって(中国の)奉天軍閥トップ・張作霖が爆殺された事件に焦点を当てて調べていこうと思います。 この事件に関しては日本は嵌められたのでは?という異説も存在していますが、一般…

織田信長の壮絶なる人生に迫る!!

信長関連の記事はこれまでも書いてきたのですが、その生涯について迫った事がなかったので、今回は織田信長の一生について迫っていきたいと思います。 非常に密度の濃い人生を送った人物なので、長文になりましたがお付き合い下さい。

江戸城を築城した悲運の名将太田道灌

太田道灌は、1432年に相模守護代・太田資房の子として生まれました。 太田家は、代々関東管領を世襲していた上杉家の中の扇谷上杉家の執事を務めていました。上杉氏は、元々藤原氏からの支流のひとつで、藤原重房が京都から鎌倉へ行き、【上杉】姓を賜った事…

だれも知らなかった縄文人の恋愛事情

みなさん、恋はしていますか?? 誰もが、これまでの人生多かれ少なかれ恋をしてきたのではないのでしょうか? 時代や文化も違えば価値観も違い、恋愛事情も違うはずです。 貴族社会の平安時代では、家柄の優劣は恋愛において大きなポイントとなっていました…

空白の4世紀について

平成30年11月27日、4世紀末から5世紀初め頃に建てられた『大壁建物』と呼ばれる渡来人由来の建築物が奈良県の市尾カンデ遺跡で見つかったという発表がありました。 4世紀末から5世紀頃と言えば、日本は『謎の4世紀』と言われる時代。 渡来人が移住したとされ…

仮想通貨と宋銭の意外な関係性!?

仮想通貨とは、ネットワーク上で電子的な決済の手段として流通している、国家による裏付けのない通貨の事を言います。 2017年12月のビットコインの価格高騰を機に、日本でも仮想通貨が話題となり、2018年のコインチェックによるネム流出事件などが記憶に新し…

戦国時代の三大暗愚、大内義隆・今川氏真・細川政元

応仁の乱を発端に、約150年に及んだ戦国時代では、多くの戦国武将がいました。 戦国三傑と呼ばれる、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などはその飛び抜けた能力で、数々の偉業を成し遂げました。英雄もいれば、その逆の暗愚もまた存在しており、後世に名を残し…

明治天皇すり替え説の検証

明治天皇は孝明天皇の第二皇子として、睦仁親王と呼ばれていました。 1867年、孝明天皇の突然の崩御に際して、満14歳と言う若さで皇位に就き、その直後に江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜から大政奉還の上奏を勅許するなど、明治維新において重要な役割を果たし…

どうして強国たちは日本を植民地にできなかったのか??

16世紀にヨーロッパでは羅針盤と造船技術が発達し、各国が大西洋やインド洋を横断して、新しい大陸を発見し競い合うように植民地化して行きました。 18世紀中頃から19世紀になると、その地域は東南アジアに広げられて、わが国のある東アジアまで迫っており、…

絵で見る律令制への道【壬申の乱以降】

イラストシリーズ『律令制への道』第4弾です。 前回は壬申の乱の勃発したところで終了したので、その結果から始めていきます。 rekishi-note.hatenablog.com

本能寺の変を知っていても毛利氏は、秀吉を追撃しなかった!?

1582年、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変が起こったのは、日本人であれば多くの人が知っている歴史的事件ではないのでしょうか? 明智光秀は、信長を討ったのち、各大名に同調の書状を送っていました。その中の一つに、織田家の家臣羽柴秀吉が、中国地…

徳川家康の影武者伝説に迫る!!

戦国大名の多くは戦場において、命を奪われぬように『影武者』立てるのは良く聞く話ですが、関ヶ原の合戦に勝利をして、江戸幕府を開いた徳川家康も例外ではありませんでした。 徳川家康の影武者伝説は、桶狭間の戦いで家康が戦死し、すでに違う人物が家康と…

豊臣秀吉も恐れた、名将・蒲生氏郷の商人育成

蒲生氏郷は、戦国時代の武将で『稀代の英雄』とも称され、豊臣秀吉が徳川家康よりも恐れた人物とも言われています。 天下人となった秀吉が【百万の兵を率いれば誰が一番強いか?】と家臣たちに聞いた時、多くの人が徳川家康や前田利家と答えたのに対し、秀吉…

原爆投下と太平洋戦争の終結

2回に分けて、第二次世界大戦と太平洋戦争までの経緯を書いてきましたが、今回は、太平洋戦争で日本が敗戦したプロセスを書いて行きたいと思います。

第二次世界大戦の開戦から太平洋戦争への経緯

以前、世界恐慌から第二次世界大戦への記事では、大戦の引き金となった事件などを踏まえながら、第二次世界大戦の開戦の経緯を書きました。 今回の記事では、第二次大戦が開戦して、太平洋戦争に至るまでの経緯を書いて行きたいと思います。

世界恐慌から第二次世界大戦へ

1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾し、【終戦】を迎えて70年以上の月日が流れました。 今わが国では安倍政権の下、戦後に日本の再スタートの基本となった【日本国憲法】の解釈をめぐる協議がされています。自衛隊の明記や日米同盟の安全保障の在り方…

戦国時代の記事まとめ・年表

記事がたくさんあるので、後から検索しやすいように記事をまとめてみました。年表と共に使ってください。リンク先は今後増やしていきます。

室町時代の京は、みんなのあこがれの場所だった

室町い時代の京都は、各地方の大名や国人たちにとって華やかで憧れの街でもありました。京から国元へ帰った各地の大名たちは、こぞって京都に模した地名を作り、寺社を建築して【小京都】と呼ばれる城下町をつくり始めました。 【京都=中央】の幕府に習い、…

室町・戦国期に頻発した庶民の反乱・一揆

戦国史・序章で大名だけではなく、各地で土一揆も発生し、山城でも国人たちによる国一揆が起こったと触れました。 今日は、室町・戦国期に起きた一揆についてまとめてみました。

下剋上の先駆者・朝倉孝景と応仁の乱

朝倉氏と言うと、織田信長と戦った朝倉義景の名前が出てきます。 姉川の戦いでは、浅井長政と共に信長を退却させましたが、そのあとの一乗谷の戦いで信長によって滅ぼされてしまった事から、私的にはやられキャラなイメージがありました。 しかし、これは11…

東軍・細川勝元と西軍・山名宗全による応仁の乱の始まり

上御霊社の戦いの後、数か月は平穏な時が流れていましたが、その間に細川派は反撃の準備を着々と進めていました。 rekishi-note.hatenablog.com そして、1467年5月に細川派が山名派に反撃する形で応仁の乱が始まります。

絵で見る律令制への道【白村江の戦い】

絵で見る律令制への道、第3弾です。 今回は日本史上初の対外戦争・白村江の戦いと大規模な内戦でもある壬申の乱に向かった流れに焦点を当てていきます。 乙巳の変の原因が蘇我氏と中大兄皇子・中臣鎌足の外交路線が違った説をとった上で解説していますので…

利休七哲と茶道の歴史

以前、千利休の切腹について記事を書いた際に、利休七哲について書くと言いました。 そこで今日は、茶道の歴史を勉強しながら、利休七哲を書いてみたいと思います。