日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

室町時代

室町時代の京は、みんなのあこがれの場所だった

室町い時代の京都は、各地方の大名や国人たちにとって華やかで憧れの街でもありました。京から国元へ帰った各地の大名たちは、こぞって京都に模した地名を作り、寺社を建築して【小京都】と呼ばれる城下町をつくり始めました。 【京都=中央】の幕府に習い、…

戦国大名一番乗りに政権掌握していた三好氏とは!?

三好氏は、信濃源氏の一族で鎌倉時代の承久の乱以降、阿波守護となった阿波小笠原氏の末裔です。阿波三好郡を本拠地にしたことから、三好と名乗るようになりました。 室町時代には、阿波守護の細川氏の守護代を務め、戦国時代に入ると三好長慶が、管領の細川…

足利尊氏の肖像画がいつの間にか変わっていた!?

みなさんこの肖像画を御存じだろうか? わたしの様に数十年前に歴史の授業を受けた人ならお分かりだろうが、室町幕府初代将軍足利尊氏公と認識していた肖像画です。 黒い馬に乗った、人物はいかにも武士らしく子どもながらに、将軍だから強いんだろうなとイ…

魔将軍・足利義教による恐怖政治

日本史の授業で室町幕府の将軍は、初代・足利尊氏、三代・義満、七代・義政、15代・義昭の4人を覚えてさせられましたね。しかし、義満と義政の間の六代目にも有能な!?将軍がいました。 それは、足利義教です。 室町将軍15代を紹介した記事を書いた時にくじ…

室町時代を将軍と共に流れを追っていく

室町時代は、室町幕府滅亡後に後醍醐天皇による建武の新政に反発した足利尊氏が京都で開いた武家政権の事を指します。名前の由来は、三代目将軍足利義満が創設した花の御所(室町殿)から来ています。 rekishi-note.hatenablog.com 1338年~1573年に渡る約240…

【北条早雲】下剋上の道 其一 北条早雲(伊勢盛時)と今川家との関係

下剋上の始まりは、北条早雲が始まりとされています。 北条早雲は、小田原城を奪い相模を統一すると言う偉業を達成し、5代に渡り後北条氏の基礎を築いた人物です。 北条氏と言うと、鎌倉時代に執権として権力を思うままにした北条氏がいましたが、血のつなが…

鎌倉公方と関東管領の違い。公方様とは誰の事を指していたのか?

室町幕府には、将軍を補佐する役職として【管領】と言う役職が置かれました。 管領は、幕政にとても大きな役割を持っていたので、将軍と共に【京都】にいました。京の都のほかに、武士の本拠地である【鎌倉】の地にも鎌倉公方と言う武士たちを統括する役職を…

後醍醐天皇と室町幕府成立と南北朝時代の背景

後醍醐天皇と足利尊氏は共に鎌倉幕府を倒しましたが、なぜ互いに対立してしまったのでしょうか? なぜ、室町幕府成立後に南北朝時代となってしまったのでしょうか? 今日は分かりずらい鎌倉末期~南北朝時代くらいまでの歴史的背景をわかりやすく紹介してい…

織田信長はどうして今川義元を桶狭間の合戦で討つことが出来たのか?

1560年、駿河の大名今川義元が上洛を目指すために、織田信長の領土である尾張への侵攻を始めます。 今川家は、室町幕府の守護大名から名門の家柄です。 駿河、遠江、三河の3ヶ国を治める義元に対し、信長は尾張一国を統一したばかりでした。この時点での兵…

徳川家康の天下統一と江戸幕府の始まりの流れ

豊臣秀吉の死後頭角を現したのが、徳川家康です。 徳川家康は織田信長の盟友であったため、一時期は信長の後継者を狙う豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで、合戦を繰り広げたこともありました。しかし、秀吉が関白に就任し、五大老(重要政務を行う役職)の一員と…

織田信長の天下布武は最初は小さい天下だった!?将軍追放との関係とは…

天下統一と聞くと一般的に全国を平定すると捉えますが、最近の研究では必ずしも 天下=全国ではないと言う考え方があるそうです。 そのため、信長が岐阜城を拠点とした頃に考えた『天下布武』が全国を武を持って治めると言う意味ではないと言うのです。 美濃…

室町幕府の成立と滅亡までの流れ

最近、戦国時代を書いていると室町時代の流れがイマイチつかめなくなってきたので、大まかな流れを書いてみたので参考になればと思います。 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が朝廷の政治を復活させるために、建武の新政と呼ばれる新しい政権を興します。しかし、…

応仁の乱と戦国時代の幕開け

応仁の乱は1467年に京都を中心に、東軍細川勝元・西軍山名宗全が戦った大規模な内乱のことを言います。 学生の頃【ひとよむなしい応仁の乱】と覚えた人も多いのではないのでしょうか? 日本の歴史では、この応仁の乱をきっかけに戦国時代へと突入していきま…