日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

平安時代

藤原北家・五男の藤原道長はどうやって出世をしていったのか?

平安時代の摂関政治の代表的人物と言えば、藤原道長です。 父・藤原兼家の五男として生まれた道長は、有力な兄たちがいたためさほど目立った存在ではありませんでした。ようするに、父は摂政として権力を握っていたが、有力な兄たちがいたため、出世の見込み…

律令政治で地方に作られた国府とは?

飛鳥時代後期から平安時代初期にかけて日本は律令国家でした。 律令国家とは、【全ての国民と国土は、天皇の支配を受ける】とおり、天皇を中心とした中央集権を目指した政治体制でした。 中大兄皇子が蘇我氏を倒して、大化の改新によって律令政治が始まった…

藤原氏による権力の掌握を見ると摂関政治がわかりやすくなる

平安時代のイメージとして思い浮かぶのは、 貴族社会で華やかな時代 国風文化の時代 合戦のない平和な時代 平安末期には、源平合戦などの争いが起きるのですが、一般的には上記のようなイメージを持っている人が多いのではないのでしょうか? 武家政権の時代…

武士初の太政大臣となった平清盛が目指したものは?

平安時代は、貴族社会が華やかな社会を作っていました。 しかし、平安時代半ばの10世紀ころから、平将門の乱、前九年の役、後三年の役などの戦乱が相次いで起こります。 こうした武力行使で物事を要求したりする勢力が現れ始めて平安の貴族たちは強い不安感…

古代政権の蝦夷との戦い

歴史上で日本と言う国名が使われ始めたのは、天武天皇の頃672年であるとされています。私たちは、日本と聞くと北海道から沖縄までと認識しますが、古墳時代にヤマト政権が誕生したころの日本は、私たちの捉えている日本の示す範囲は全くと言っていいほど異な…

遣唐使と古代日本における中国との関係性

古代日本における中国との関係は、当時の日本を知るにあたってとても重要な要素になります。 聖徳太子(厩戸王)の遣隋使派遣によって当時の強国【隋】と対等な関係を結び、外交関係上日本の立場を強くすることに成功しました。 時は流れ、618年に中国より強大…

治承・寿永の乱(源平合戦)に参加した人たちの思惑を調べてみる

1179年に発生した治承三年の政変。これに伴い、後白河院の第3皇子以仁王が挙兵。諸国に令旨(王の命令)を出し様々な勢力も挙兵していきます。 なぜ反平氏に至ったのか? なぜ以仁王の令旨に従ったのか?? 事情が分かれば源平合戦に発展した理由も見えてく…

治承三年の政変までの流れを調べてみる

平氏が滅亡したとして有名な壇ノ浦の戦いは、源平の間で富士川の戦いや倶利伽羅峠の戦いなど何度も起こった争乱の果てに起こったものです。これらの戦いは総称して治承・寿永の乱と呼ばれています。元々、治承・寿永の乱はクーデターを起こした平清盛ら平氏…

公家たちが反平氏に回ったもう一つの理由

家柄のあまり良くない平氏が太政大臣にまでのぼりつめ、摂関家領を横領したということで反感を買っていたんじゃ?って話を以前(後白河院と平清盛参照)しましたが、それと同時に平治の乱に至るまでに信西の一件(平治の乱はどんな経緯をたどったのか?)が…

後白河院と平清盛

後白河院と平清盛の話をする前に二人の関係を語るには欠かせない、平滋子という女性がいます。平滋子の調整があって初めて後白河院ー清盛態勢が上手く築けていたと言っても過言ではありません。 滋子は元々鳥羽院の娘・上西門院に仕えていたところを姉で清盛…

二条親政派の瓦解

平治の乱で後白河院政派の政治の要である信西(藤原通憲)と藤原信頼が死亡。元々天皇となるための教育を受けたわけじゃない後白河院は、この二人が亡くなったことで政治力を大きく失います。 そうなれば二条親政派の勝利になるのでは??と思いますが、そう…

平安~鎌倉時代の戦は一騎打ちが基本!?武士同士の戦いの進歩

日本の歴史を見ていくと数々の戦いがあり、どれも両軍が入り乱れて生きるか死ぬかの壮絶なものを想像します。しかし、平安~鎌倉時代の戦いはとてもクリーンで分かりやすいものだったそうです。 その戦の方法とは…

平治の乱はどんな経緯をたどったのか?

平治の乱(1159年)は、保元の乱(1156年)の戦後処理に不満を抱いた勢力が平清盛らに挑んだ戦いと言われ結局は仕掛けた方が敗戦。この戦いで信西(藤原通憲という人物が出家)という実力者が亡くなったことで、平清盛に権力が集中し始めます。 今回は平清盛…

保元の乱の戦後処理

平治の乱が起こった原因となった保元の乱の戦後処理について考察しながら探ります。 キーパーソンは保元の乱で参謀のような役割をしていた信西という人物。信西は後白河天皇と共に保元の乱の後の体制を整えていきました。この信西と保元の乱後の体制がどうな…

わかりやすい保元の乱

保元の乱の裏事情でも書きはしたのですが、文字が多かったので関係図付きで分かりやすく?説明できればなぁと思います。

平安時代から鎌倉時代への流れ

平安時代がとても長いので、少し表にまとめて流れを書いてみたいと思います。 これを見て流れをつかめたらいいなと思います。

保元の乱の裏事情

平安から鎌倉時代に移行する流れを知るのに避けられない争いが保元の乱と平治の乱、そして治承・寿永の乱です。 簡単に言うと・・・ 保元の乱:後白河天皇と崇徳上皇の間に起きた皇位継承問題が摂関家の内部争いと絡んで戦いに発展したもの。後に犬猿の仲と…

武士が重用されるようになった理由

白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇と3代続いた院政は100年余り続いています。この院政が終わりを告げたのは平氏が本格的に政治参加するようになってから。 では、なぜ平氏が政治に参加するようになったのか?? その経緯を知る前に、武士が重用されるようにな…

摂関政治の衰退と院政開始

藤原頼通は1017年に道長から摂政の地位を譲られ、その道長の死後は朝政の第一人者として時代を築き上げた人物です。後一条・後朱雀・後冷泉天皇と3代の天皇の摂政・関白として50年以上務めあげ、藤原全盛期を生きたと言えるでしょう。 そんな状況の藤…

詮子が道長を援護した理由を見てみよう

道長の栄華のきっかけになった姉詮子(せんし)。可愛い弟のために・・・という理由も聞きますが、どうにもそれだけではなさそうです。 道長や詮子の父兼家と兼家の兄兼通との抗争が、詮子とその夫円融天皇そして伊周(これちか)との関係にも大きく関係して…

藤原道長はどのように『望月の歌』を詠むまでに至ったか?

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば この歌は、藤原道長の三女・威子(いし、たけこ)が後一条天皇の立后祝いでの饗宴の席で歌われた有名な歌です。同母姉・太皇太后の彰子、皇太后・妍子(けんし)と共に一家に三后が立つ前例の…

平安時代の年中行事

これまでのブログでは歴史の流れに沿って出来事の背景を調べたり時には人物を紹介したりしてきましたが、今回は趣向を変えて『平安時代の年中行事』がテーマです。 何かを調べている時に行事の名前は分かっても「いつ頃の時期にどんな目的でどんなことをして…

刀伊の入寇で活躍した藤原隆家を調べてみる

当ブログのテーマは日本史ですので、前回の刀伊(女真族)側の背景を見ただけでは物足りません。そんなわけで今回は日本側で活躍した藤原隆家に焦点を当てていくことにします。 藤原隆家は平安時代のキーパーソンの一人藤原道長の甥っ子に当たります。摂関家…

刀伊の入寇を調べてみる

10世紀に発生した承平・天慶の乱以外にも武士団が徐々に発生していたことが伺われる出来事があります。それが1019年の刀伊(とい)の入寇です。太宰権帥(だざいのごんのそつ)藤原隆家の指揮の下で九州の武士たちが撃退したと言われています。今回は…

9世紀以降の俘囚(帰化した蝦夷)の相次ぐ反乱ついて考察してみる

平安時代の災害史を探している際、度々目にした俘囚が気になったので調べて考察してみました。 今日は、俘囚(帰化した蝦夷)ついて書いていきたいと思います。

平安時代の災害史

平安時代は災害の多い時代で、その災害が政治にも大きく影響しました。どれだけの災害がいつ頃あったのかを知ることで、怨霊が信じられた背景やそれに伴う幾度かの天皇の譲位、庶民が税から何故逃れようとしたのか??少しは近づけるのではないかなと思いま…

藤原純友の乱はどうして起こったのか?を調べてみる

少し間が空いてしまいましたが、935年以降に続いた下総の私闘で最終的には国司への反乱にまで発展した平将門の乱について以前お話ししたかと思います。 今回は、その平将門の乱と合わせて『承平天慶の乱(当時の元号に由来)』とも呼ばれる『藤原純友の乱』…

学問の神になった菅原道真の人生

以前は菅原道真と平将門の関係については書きましたが、肝心の菅原道真の人物像には触れませんでしたので、今日は菅原道真について書いてみたい思います。 菅原道真と言えば、インテリのイメージがあります。それは、政治家の顔と同時に文学者、学者としての…

平将門と菅原道真との繋がりを見てみよう

前回の平将門について書かれたのが将門記。この将門記に少し意外な人物の名が載っています。その人物は菅原道真。まだ当ブログでは扱っていませんが、学問の神様として有名です。 平将門の変が起こる30年以上も前に亡くなった菅原道真が何故出て来るのかを見…

平将門の乱が起こった背景を調べてみる

かなり昔のものになりますが、昭和45年のNHKで放送された「日本史探訪」という番組で平将門について故・赤城宗徳氏と故・大岡昇平氏とが対談されています。この対談内容をまとめた書籍を手にすることが出来ました。 赤城氏は平将門を研究、大岡氏はフランス…