日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

戦国史

西国最大勢力を誇った大内氏と大内義隆

大内氏は日本の大名では珍しく、百済の王族の末裔と自称していました。 先祖代々、周防国府を世襲した官人から守護大名になり、戦国大名に成長し、周防・長門・石見・豊前・筑前守護職を歴任し、大内義隆の時代には最盛期をむかえ独自の文化も形成しました。

細川政元のクーデター明応の政変

<画像wikipediaより引用> 応仁の乱の混乱の中、近江を支配していた六角氏の荘園略奪が目に余ったので、9代将軍・義尚は、六角征伐を行いますが志半ばで死去します。 そうなると、将軍家では再び後継者問題が起こります。

三好氏と畿内の覇権争いをしていた六角氏の戦国時代

応仁の乱の余波が全国に広がると、諸国では国人衆や地侍と言った階層の者たちが、室町幕府の奉公衆や公家、寺社の荘園を武力で奪い取って行きました。 rekishi-note.hatenablog.com

江戸城を築城した悲運の名将太田道灌

太田道灌は、1432年に相模守護代・太田資房の子として生まれました。 太田家は、代々関東管領を世襲していた上杉家の中の扇谷上杉家の執事を務めていました。上杉氏は、元々藤原氏からの支流のひとつで、藤原重房が京都から鎌倉へ行き、【上杉】姓を賜った事…

戦国時代の記事まとめ・年表

記事がたくさんあるので、後から検索しやすいように記事をまとめてみました。年表と共に使ってください。リンク先は今後増やしていきます。

室町・戦国期に頻発した庶民の反乱・一揆

戦国史・序章で大名だけではなく、各地で土一揆も発生し、山城でも国人たちによる国一揆が起こったと触れました。 今日は、室町・戦国期に起きた一揆についてまとめてみました。

下剋上の先駆者・朝倉孝景と応仁の乱

朝倉氏と言うと、織田信長と戦った朝倉義景の名前が出てきます。 姉川の戦いでは、浅井長政と共に信長を退却させましたが、そのあとの一乗谷の戦いで信長によって滅ぼされてしまった事から、私的にはやられキャラなイメージがありました。 しかし、これは11…

東軍・細川勝元と西軍・山名宗全による応仁の乱の始まり

上御霊社の戦いの後、数か月は平穏な時が流れていましたが、その間に細川派は反撃の準備を着々と進めていました。 rekishi-note.hatenablog.com そして、1467年5月に細川派が山名派に反撃する形で応仁の乱が始まります。

室町幕府将軍家の後継者争い

室町時代中期、8代将軍・足利義政は、1449年~1473年まで在職しました。 将軍就任当初は、祖父・義満や父の政策の復活を試み、積極的に政治を行っていましたが、日野富子や細川勝元、山名宗全等の有力な守護大名が政治介入していき、義政主導の政治が困難に…

序章・応仁の乱から下剋上の戦国時代へ

室町幕府成立と幕府の黄金期 鎌倉幕府が滅亡後、後醍醐天皇が【建武の新政】を行いましたが、公家優先の政治方針を取ったため、武士たちは不満が募ります。

戦国大名一番乗りに政権掌握していた三好氏とは!?

三好氏は、信濃源氏の一族で鎌倉時代の承久の乱以降、阿波守護となった阿波小笠原氏の末裔です。阿波三好郡を本拠地にしたことから、三好と名乗るようになりました。 室町時代には、阿波守護の細川氏の守護代を務め、戦国時代に入ると三好長慶が、管領の細川…

難攻不落の小田原城の【後北条五代】100年の歴史

戦国時代、小田原城を本拠地に関東地方を北条氏が支配していました。 北条氏と言えば、鎌倉時代の歴代執権も北条氏でしたが、戦国大名の北条氏とは超が付くほど遠い血縁で、全く別物と区別されており、便宜上【後北条】と言われることが多いそうです。※ここ…

【北条早雲】下剋上への道 其三 相模平定と北条氏5代

北条早雲による相模平定 早雲は、扇谷上杉家・上杉朝良から軍事協力の求めを大義名分として相模国の統一を目指します。

【北条早雲】下剋上への道 其二 伊豆討ち入りと戦国時代の幕開け

北条早雲、伊豆へ侵攻 室町8代将軍・足利義政が対立していた古河公方への対抗策として、幕府側から正式な鎌倉公方として足利正知を送り込みますが、鎌倉には入ることが出来ず、伊豆の堀越に本拠地を構えることになり【堀越公方】と呼ばれるようになりました…