日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

戦国時代

戦国時代の三大暗愚、大内義隆・今川氏真・細川政元

応仁の乱を発端に、約150年に及んだ戦国時代では、多くの戦国武将がいました。 戦国三傑と呼ばれる、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などはその飛び抜けた能力で、数々の偉業を成し遂げました。英雄もいれば、その逆の暗愚もまた存在しており、後世に名を残し…

本能寺の変を知っていても毛利氏は、秀吉を追撃しなかった!?

1582年、明智光秀が織田信長を討った本能寺の変が起こったのは、日本人であれば多くの人が知っている歴史的事件ではないのでしょうか? 明智光秀は、信長を討ったのち、各大名に同調の書状を送っていました。その中の一つに、織田家の家臣羽柴秀吉が、中国地…

豊臣秀吉も恐れた、名将・蒲生氏郷の商人育成

蒲生氏郷は、戦国時代の武将で『稀代の英雄』とも称され、豊臣秀吉が徳川家康よりも恐れた人物とも言われています。 天下人となった秀吉が【百万の兵を率いれば誰が一番強いか?】と家臣たちに聞いた時、多くの人が徳川家康や前田利家と答えたのに対し、秀吉…

利休七哲と茶道の歴史

以前、千利休の切腹について記事を書いた際に、利休七哲について書くと言いました。 そこで今日は、茶道の歴史を勉強しながら、利休七哲を書いてみたいと思います。

戦国大名一番乗りに政権掌握していた三好氏とは!?

三好氏は、信濃源氏の一族で鎌倉時代の承久の乱以降、阿波守護となった阿波小笠原氏の末裔です。阿波三好郡を本拠地にしたことから、三好と名乗るようになりました。 室町時代には、阿波守護の細川氏の守護代を務め、戦国時代に入ると三好長慶が、管領の細川…

どうして名門武田氏は滅亡したのか?

どうして名門武田氏は滅亡したのか? 武田信玄を輩出した清和源氏の流れをくむ武田氏が、信玄没後10年で滅亡したのは一体どうしてなのか?? 今日は、そんな武田氏が滅亡した理由について考えてみました。

桶狭間の戦いは奇襲攻撃ではなく新しい説が浮上した!?

以前、織田信長はどうして今川義元に勝つこができたのか?と言う記事を書かせてもらいました。 その記事では、桶狭間で休息している今川軍を少数の織田軍が背後の山から奇襲攻撃仕掛け、勝利したと書きました。 rekishi-note.hatenablog.com

戦国時代、最強軍師ランキング!

軍師と言えば、武将に仕えて戦略や戦術などを献言する参謀のイメージがありますが、このような軍師像は戦国中期に登場した新しい形のものでした。 それまでの軍師は、陰陽道などの占術に長けた【軍配者】であったと言います。出陣に際して吉凶を占い、日時や…

難攻不落の小田原城の【後北条五代】100年の歴史

戦国時代、小田原城を本拠地に関東地方を北条氏が支配していました。 北条氏と言えば、鎌倉時代の歴代執権も北条氏でしたが、戦国大名の北条氏とは超が付くほど遠い血縁で、全く別物と区別されており、便宜上【後北条】と言われることが多いそうです。※ここ…

織田信長の有名な政策は二番煎じだった!!

織田信長の政策・戦術には、どれも時代を先取りしたものとして評価されています。 鉄砲の活用・楽市楽座・関所の撤廃・石垣による城郭つくり・天主の建設・兵農分離・本拠地の移動など、挙げればキリがないほど出てくる信長の政策ですが、実はどれもが他の大…

豊臣秀吉は朝鮮出兵でも奴隷解放を行っていた!?

豊臣秀吉は、1592年に文禄の役、1598年に慶長の役と朝鮮半島へと兵を進めました。 この【朝鮮出兵】は、秀吉の耄碌が引き起こした突拍子もない思いつきという解釈がされる事が多いですが、実は用意周到なうえに、壮大な構想だったことが明らかになっています…

明智光秀が織田信長を打ち取る動機とは?

前の記事では、本能寺の変は明智光秀の発作的行動で、単独犯だったと言う説を書いて行きました。※これもまた一つの説にすぎません。 今回はその続きで、どうして光秀は信長に謀反を起こすに至ったのか?という所に迫ってみたいと思います。

本能寺の変は明智光秀の単独犯行だった!?

1580年に本願寺討伐の責任を取らせる形で佐久間信盛親子を追放しました。 その時に、織田信長は19カ条からなる折檻状を記しました。 その一部を現代語でわかりやすく書くと… 一、佐久間信盛親子は、天王寺城に五年間いたのにもかかわらず、本願寺攻めの功績…

日本で初めて本格的な奴隷解放をした豊臣秀吉

戦国時代、戦に敗れた側の人間の財産は奪われ、抵抗すれば殺され、生き残ったとしても奴隷として売られていました。世界的にみればこのような奴隷制度は、よく聞かれましたが、この日本でも数百年前までごく普通に行われていました。 この時代の足軽は、戦場…

北条早雲が育てた小田原の城下町

下剋上と言えば『北条早雲』で、一介の素浪人から相模一帯を治めるまでにのし上がった、五代100年続いた【後北条】の祖として、戦国時代のきっかけを作ったとして余りにも有名な話です。 rekishi-note.hatenablog.com もう一人、下剋上の典型的な人物として…

織田信長による楽市楽座の目的とは?

1541年に土岐頼芸が斉藤道三に追放されて以来、美濃国は斉藤家が支配していました。 織田信長の父である信秀も1547年に美濃を攻めましたが、稲葉山城の鉄壁の守りの前に敗れています。和睦の際に、斉藤道三の娘・帰蝶と織田家嫡男・信長の婚姻が決定しました…

実はかなり有能だった有名戦国大名の息子たち

戦国時代に父があまりにも偉大過ぎて過小評価されている超有名な戦国武将の息子たちですが、実はかなり優秀な武将でした。 今回は、そんな父の陰で有能さがイマイチ評価されていない戦国大名の息子たちにスポットを当ててみたいと思います。

天下布武を目指した織田信長の軍事改革②【効果的な兵器の活用】

信長の軍事改革の第二弾は、合戦を冷静に分析し、戦況に応じた武器を投じた効果的な兵器の活用術を見てみたいと思います。

天下布武を目指した織田信長の軍事革命 【方面軍の創設】

織田信長は、他の戦国大名に先立ち最新兵器の鉄砲を大量に導入や方面軍の創設などの様々な軍事改革を行い、天下布武に邁進しました。 最新兵器の活用、独特な戦術や家臣の能力を最大限引き出した人材活用術を取り上げながら、織田信長軍団を紐解いていきます…

不利な状況から勝利を掴んだ戦国時代の名采配

戦国時代の多くの武将の見せ場はやはり合戦でした。全国各地、大なり小なり多くの合戦が各地であり、その数だけドラマがありました。 今日はその中から、不利な状況から見事な名采配で勝利を引き寄せた織田信長と北条氏康、豊臣秀吉の合戦を紹介していきます…

【北条早雲】下剋上への道 其三 相模平定と北条氏5代

北条早雲による相模平定 早雲は、扇谷上杉家・上杉朝良から軍事協力の求めを大義名分として相模国の統一を目指します。

【北条早雲】下剋上への道 其二 伊豆討ち入りと戦国時代の幕開け

北条早雲、伊豆へ侵攻 室町8代将軍・足利義政が対立していた古河公方への対抗策として、幕府側から正式な鎌倉公方として足利正知を送り込みますが、鎌倉には入ることが出来ず、伊豆の堀越に本拠地を構えることになり【堀越公方】と呼ばれるようになりました…

石田三成の旗印、大一大万大吉の意味とは?

石田三成の旗印と言えば、【大一大万大吉】と記されています。 旗印と言えば、武田信玄の【風林火山】が有名で、その意味も多くの人が知っているかと思います。 では、この石田三成の旗印にはどのような意味が込められていたのでしょうか?

本能寺の変直後の無政府状態で各大名家はどうしていたのか?

1582年、明智光秀の謀反により本能寺の変が起こりますが、秀吉による中国大返しにより同年、山崎の合戦にて謀反人光秀が討たれることになります。その後、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉が織田家筆頭家老の柴田勝家を打ち織田家を継承するまで1年ほどあります。 そ…

日本が銃社会にならなかったのは豊臣秀吉の刀狩りのおかげだった!?

日本好きの外国人に『日本のどんなところが良いのか?』と質問すると、一番多い回答に【治安の良さ】をあげます。 住んでいる私たちは、これが当たり前なのでいまいち実感は湧きませんが、そもそもなで日本はこんなにも治安が良い国なのでしょうか?

本能寺の変の黒幕は誰だ!?光秀をそそのかした人はこんな人物だった!!

以前、本能寺の変の記事を書いた時に黒幕の話をしました。 事件の裏で明智光秀を扇動していた人物がいたのならいったい誰なのか? 現在、色々な容疑者が浮上しています。

織田信長はどうして今川義元を桶狭間の合戦で討つことが出来たのか?

1560年、駿河の大名今川義元が上洛を目指すために、織田信長の領土である尾張への侵攻を始めます。 今川家は、室町幕府の守護大名から名門の家柄です。 駿河、遠江、三河の3ヶ国を治める義元に対し、信長は尾張一国を統一したばかりでした。この時点での兵…

わかりやすい関ケ原の戦いの経緯と合戦までの流れ

織田信長の突然の死によって天下統一の機会を捉えた豊臣秀吉は、子飼いであった旧信長の家臣をも取り込み、見事に天下統一を果たします。 天下の治世を円滑に行うため秀吉は、大老職と奉行職を政権内に配置します。大老の筆頭であった徳川家康は主に軍事関係…

徳川家康の天下統一と江戸幕府の始まりの流れ

豊臣秀吉の死後頭角を現したのが、徳川家康です。 徳川家康は織田信長の盟友であったため、一時期は信長の後継者を狙う豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで、合戦を繰り広げたこともありました。しかし、秀吉が関白に就任し、五大老(重要政務を行う役職)の一員と…

豊臣秀吉の天下統一までの流れ

豊臣秀吉と言えば、農民の出でありながら、織田信長のなしえなかった天下統一を果たした出世人として有名です。 歴史の教科書では、信長が本能寺にて倒れた後、天下統一事業を引き継いだと書かれています。では、秀吉は本能寺の変後、どのようにして天下統一…