日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

日本史の流れ

関東軍を通して見る第二次世界大戦

関東軍と言えば 張作霖爆殺事件 満州事変を独断で実行 ノモンハン事件 などが有名で、日中戦争の契機に繋がる事件に関わったことが知られています。 今回はそんな関東軍を通して見た第二次世界大戦について調べていきます(ちょっと長いので後々簡易板も上げ…

第二次世界大戦までの流れ

日本史だけで見ても第二次世界大戦の全体像は掴めませんので、世界史視点・日本史視点どちらからでも分かるように表にまとめてみています。いずれサイトマップとしても利用できるようにしていく予定です。

日本がアジアの大国清と戦った日清戦争の簡単な流れと下関条約

1894年~1895年まで行われたアジアの大国である清との戦い、それが日清戦争です。 アジアの外交政策において朝鮮半島は、重要な位置を占めていました。 朝鮮は長い間、中国(清)の影響下にありましたが、そこを足掛かりに日本は、大陸に進出したいと考えてい…

明治初期の国際問題 【不平等条約改正と征韓論~西南戦争まで】

明治政府の外交課題は、幕末から引き継がれていた不平等条約の改正が最重要課題でした。 そのため、1871年(明治4年)に岩倉具視を大使として、木戸孝允・大久保利通・伊藤博文らの岩倉使節団がアメリカやヨーロッパに派遣されました。

明治新政府による改革と中央集権体制の強化

明治政府が真っ先に取り組んだのが、天皇を中心とする政権体制を固める事でした。 まずは、諸藩に領地と領民を天皇に返す版籍奉還で、薩長土肥が手本を見せて行いました。旧藩主たちには石高の代わりに、家禄(給料)を与えて引き続き藩政を任せました。 しか…

明治の文明開化で変わった日本の生活様式

大政奉還によって政権が徳川幕府から天皇に変換されました。 このような政治の変化により、文化にも影響を及ぼすことになります。その文化的な変化が文明開化と呼ばれているものです。 江戸時代が終わり、明治政府がスタートすると、日本人の生活は西洋を意…

藤原氏による権力の掌握を見ると摂関政治がわかりやすくなる

平安時代のイメージとして思い浮かぶのは、 貴族社会で華やかな時代 国風文化の時代 合戦のない平和な時代 平安末期には、源平合戦などの争いが起きるのですが、一般的には上記のようなイメージを持っている人が多いのではないのでしょうか? 武家政権の時代…

わかりやすい古代の土地制度流れ ~初期荘園ができるまで~

古代の土地制度は、天皇を中心とした支配体制の重要な側面になっており、かつ国家財政を左右するものでした。 土地制度の一つ一つが社会的背景と直接リンクしているために政治だけではなく、経済や法整備などの様々な要素がからんできます。 古代の税は、稲…

開国から幕末までの流れ 2 江戸幕府終焉~廃藩置県

まずは、流れを掴むために年表を… 1865年4月 第2次長州討伐の勅許 1866年12月 慶喜が15代将軍になる。孝明天皇死去。 1867年6月 薩摩と土佐が討幕の密約を結ぶ 10月 朝廷が大政奉還を受理する 12月 王政復古の大号令 1868年1月 鳥羽伏見の戦い 3月 五か条の…

開国から幕末までの流れ 1 ペリー来航~薩長同盟

厳密に幕末の期間に関する定義はありませんが、一般的に1853年の黒船来航~江戸城無血開城後あたりが一般的でしょうか。見方によっては幕末の期間の定義は様々ですが、ここでは幕藩体制が完全に終了した廃藩置県を断行した1871年までを幕末の定義とします。 …

黒船ペリー来航と日本の開国

1853年、日本にとって運命の瞬間が訪れます。 ペリーの来航です。 このペリー来航により、徳川幕府が崩壊して明治維新によって新政府が成立していく【幕末】の時代が始まります。

水野忠邦の天保の改革

江戸の三大改革の最後、水野忠邦が行った【天保の改革】改革について書いていきたいと思います。 天保の飢饉や大塩平八郎の乱、さらに追い打ちをかけるかのように、日本近海に出現した外国船。そんな社会情勢の不安が募っていく中で将軍家斉が亡くなり、水野…

松平定信と寛政の改革

田沼意次にかわり幕府の財政再建を担ったのは、陸奥国白河藩主の松平定信でした。 定信は、徳川将軍家の一族である御三卿の一つ田安家の出身で、吉宗の孫にあたる人物でした。

田沼意次はどのような政治改革で江戸幕府を立て直そうとしたのか?

徳川吉宗が行った享保の改革で幕府の財政がやや上向きになりました。 しかし、1732年の享保の大飢饉や百姓一揆、打ちこわしなどが続き幕府は再び財政難に陥ることになります。 rekishi-note.hatenablog.com 1745年に吉宗が将軍職を引退し、9代将軍・家重の時…

弥生時代を分かりやすくまとめてみました

弥生時代の名前の由来は【東京都文京区弥生町】の発掘調査で土器が見つかった事からつけられました。 縄文時代からの変化と言えば、金属の登場と稲作の普及が挙げられます。 しかし、金属器が登場したからと言って、100%の人が使っていたわけではなく、石器…

幕府の財政再建と徳川吉宗の享保の改革

徳川家綱から始まった文治政治の影響と、米価の下落対策をせずに放置した事により、幕府の財政難は深刻なものとなっていました。 そんな中、7代目家継に代わり、徳川吉宗が8代目将軍に就任しました。

わかりやすい関ケ原の戦いの経緯と合戦までの流れ

織田信長の突然の死によって天下統一の機会を捉えた豊臣秀吉は、子飼いであった旧信長の家臣をも取り込み、見事に天下統一を果たします。 天下の治世を円滑に行うため秀吉は、大老職と奉行職を政権内に配置します。大老の筆頭であった徳川家康は主に軍事関係…

江戸時代の流れ ~将軍家綱による文治政治の始まりによる幕藩体制の安定~

江戸幕府初期の初代家康~3代家光までは、武力を背景とした大名統制を行っていました。これを武断政治と呼びます。 武家諸法度違反と称し、言うことを聞かない大名は、片っ端から取り潰していき、1600年~1640年までの改易数は198の大名家が取り潰しとなりま…

江戸幕府の成立と幕府の体制(家康~家光)

江戸時代は、1603年~1868年まで260年以上も続きました。 始まりは徳川家康が征夷大将軍になった1603年、終末は1867年の大政奉還までが江戸時代だと一般的に言われています。 この江戸幕府は、鎌倉・室町幕府と続く日本で最後の武家政権となります。

徳川家康の天下統一と江戸幕府の始まりの流れ

豊臣秀吉の死後頭角を現したのが、徳川家康です。 徳川家康は織田信長の盟友であったため、一時期は信長の後継者を狙う豊臣秀吉と小牧・長久手の戦いで、合戦を繰り広げたこともありました。しかし、秀吉が関白に就任し、五大老(重要政務を行う役職)の一員と…

豊臣秀吉の天下統一までの流れ

豊臣秀吉と言えば、農民の出でありながら、織田信長のなしえなかった天下統一を果たした出世人として有名です。 歴史の教科書では、信長が本能寺にて倒れた後、天下統一事業を引き継いだと書かれています。では、秀吉は本能寺の変後、どのようにして天下統一…

安土桃山時代から江戸時代までの流れ

安土桃山時代は諸説ありますが、ここでは1573年足利義昭追放から1603年徳川家康が征夷大将軍になるまでの時代とします。 この時代には大きく分けて、織田信長が中央政権を取っていた時期と豊臣秀吉が政権を握っていた時期と分けられます。この2人の名前を取…

平安時代から鎌倉時代への流れ

平安時代がとても長いので、少し表にまとめて流れを書いてみたいと思います。 これを見て流れをつかめたらいいなと思います。

室町幕府の成立と滅亡までの流れ

最近、戦国時代を書いていると室町時代の流れがイマイチつかめなくなってきたので、大まかな流れを書いてみたので参考になればと思います。 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が朝廷の政治を復活させるために、建武の新政と呼ばれる新しい政権を興します。しかし、…

摂関政治の衰退と院政開始

藤原頼通は1017年に道長から摂政の地位を譲られ、その道長の死後は朝政の第一人者として時代を築き上げた人物です。後一条・後朱雀・後冷泉天皇と3代の天皇の摂政・関白として50年以上務めあげ、藤原全盛期を生きたと言えるでしょう。 そんな状況の藤…

摂関政治の始まり

薬子の変が終わって以降、それまで栄えていた式家が衰退し藤原家では北家が優位に立ったというお話を以前したと思います。 今回はそんな藤原北家が中心となった貴族政治について調べていきますね。では始まりです。

日本史の大まかな流れ   【南北朝時代と室町時代、戦国時代、安土桃山時代】

日本史の大まかな流れなんて題名掲げながら、流れと重要語を織り交ぜているため長ったらしい文章です。もっと簡単に流れをつかみたいなら日本史の流れ(かなり簡略したやつ)を参考にして下さい。 今回は南北朝・室町時代、戦国時代です。

日本史の大まかな流れ 【平安時代、鎌倉時代】

今回は平安時代からです。内容が濃いので、文化は省略。 一応、流れが分かる範囲で重要語を取り入れているつもりです。

日本史の流れ(かなり簡略したやつ)

今まではそれなりの説明で大まかな流れを書いていたけど、本当に簡単にまとめてみます。

日本史の大まかな流れ 【飛鳥時代、奈良時代】

飛鳥時代~奈良時代の大まかな流れを書いていきます。 重要用語を取り入れていて流れを書いていこういこうという試みのため、まとめの用になっています。