日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

江戸時代

8月20日に起こった禁門の変とは?

本日のテーマは幕末好きならご存知の1864年8月20日に京都で起きた 会津や薩摩をはじめとする江戸幕府 vs 長州藩との武力衝突事件 禁門の変 について書きたいと思います。 ・・・と言いたいところですが、以前禁門の変と第一次長州征伐の記事で細かい内容を書…

江戸時代の地方振興

江戸時代の政治制度は幕藩体制で、幕府は中央集権制をとり、藩は地方自治制度を取っていました。この頃の藩による地方自治は、現在のような補助金や地方交付金などは無く、その藩が必要とする経費は、全てその藩の物産振興によって賄われていました。 よって…

江戸の失業対策 ~江戸の牢人問題と由比正雪の乱~

江戸の文治政治の始まりの記事で、武士の失業について触れましたが、今回は少し掘り下げて書いてみたいと思います。 rekishi-note.hatenablog.com

江戸時代にも介護保険制度があった!?

現在、我が国では介護保険制度と言う、要介護状態の人が尊厳を保持して、自立した日常生活を行えるように必要な医療サービスや福祉サービス受けられるよう、認定を受けた人が給付を受けられるようになっています。

徳川家康は独特の経済感覚で子孫たちに莫大な遺産を残した

一昔前、徳川埋蔵金を探す番組がありましたが、万年財政不足だった幕府にお金がったのでしょうか??

鎖国時代、開国思想を説いていたパイオニアがいた?

開国と言えばペリーの外交圧力に屈して・・・というイメージもありますが、江戸時代・鎖国体制下の日本国内においても開国の必要を訴えていた人物がいたそうです。 それが本多利明という人物。 先見の明のあったこの『本多利明』という人物が何をしたかにつ…

江戸時代の服装は実はあれだった!!

徳川幕府の徹底した管理統治の下、始まった江戸時代ですが、5代将軍・徳川綱吉を境にゆっくりと変わり始めます。 幕府の慢性的な財政難で、少しづつ着実に徳川幕府は衰退していくのです。 それでも、約260年続いた江戸幕府は、前期・中期・後期と分けられま…

18~19世紀、外国船が頻繁に来ていた理由を見てみよう【アメリカ編】

アメリカ船の度重なる来航は捕鯨ブームという見方もありますが、よくよく背景を調べてみると捕鯨以外にも理由がありそうです。 そんな訳で『18~19世紀、外国船が頻繁に来ていた理由を見てみよう』第3弾、アメリカ編の始まりです。

18~19世紀、外国船が頻繁に来ていた理由を見てみよう【ロシア編】

幕末以前(ペリー来航以前)から通商目的で日本へ来航してきたのはロシアとアメリカの二カ国です。 ※イギリスも何度も来航しているけど、調べた限り通商<中継地点として寄港している印象が強いので除外。 この二カ国が日本へやってきたのには理由があります…

王政復古の大号令による幕府の廃止と公議政体派と討幕派の攻防

大政奉還によって実質政権を返上した徳川慶喜は、薩摩・長州藩の武力討幕派に対して先手を打ち政権掌握の機会をうかがっていました。 rekishi-note.hatenablog.com 現在の朝廷では政権を運営できるだけの能力がないと踏んでいたので、大政奉還後も旧徳川幕府…

長州討伐失敗の原因ともなった一揆や打ちこわし

幕末期の幕府を動揺させたのは、外国勢や諸藩の尊攘・討幕運動だけではなく、全国各地で発生した民衆運動『世直し一揆』もありました。 このような世直し一揆の発生は、民衆による徳川幕府への不信任表明の表れで、結果として幕府滅亡へのカンフル剤となりま…

大政奉還による幕府の思惑

長州討伐の失敗と将軍の死 1866年の第二次長州討伐で長州藩に返り討ちに合い惨敗をしてしまった幕府軍は、その後まもなくして、14代将軍・家茂が戦陣で病没します。敗北を悟った幕府側は、長州藩との停戦を決定します。 この戦いでの敗北で、権威も落ちると…

犬猿の仲だった薩長が同盟締結!!坂本龍馬の仲介による薩長同盟

八月十八日の政変以降、仲が悪くいがみ合っていた長州・薩摩両藩でしたが、同時期に藩論を討幕へと舵を切りました。 当時の長州藩は、幕府による二度の長州討伐令を前に存亡の危機にさらされ、薩摩藩では、独自の幕政改革が頓挫して打開策に悩む日々でした。…

長州藩・高杉晋作のクーデターと薩摩藩の討幕への転換

高杉晋作のクーデターと長州藩の討幕の転換 長州藩内の保守派による尊攘派弾圧の前にやむなく九州へと逃れた高杉晋作でしたが、幕府の征長軍が撤退すると、ただちに長州へ帰還します。 戦わずして幕府に降伏した保守派に反旗を翻し、藩の実権を取り戻すべく…

禁門の変と第一次長州征伐

長州藩と言うと尊攘や討幕のイメージが強いですが、当初は【朝廷に忠節・幕府に信義、先祖に孝道】の三大キャッチフレーズを掲げて、過激な対立構造とは一線を画していました。

島津久光による文久の改革と八月十八日の政変

1862年(文久2年)に上洛した島津久光は、朝廷への公武合体推進するために働きかけます。この働きかけが実り、久光は勅使を擁して江戸に下り幕政改革を求めます。 幕府は勅使を受け入れ、幕政改革を行います。この一連の改革を文久の改革と呼ばれています。

テロの温床と化した京都の警察組織・新撰組の誕生

安政の大獄以降、過激な攘夷論は下級武士の達の間で特にくすぶり続けていました。 1859年に条約通り、横浜、箱館、長崎が開港されたよ翌月には、横浜で水戸藩士たちによるロシア人士官襲撃事件が起きます。この事件をきっかけに、外国人襲撃事件が各地で起こ…

桜田門外の変と坂下門外の変による幕府権威の失墜

大老・井伊直弼による通商条約の勝手な調印と将軍後継ぎ問題の強固なやり方は、参与の外様大名をはじめとする一橋派の反感を買うとともに、尊王論者と攘夷論者の双方からも強い反発を招きます。

開国と井伊直弼による安政の大獄

安政の改革と日米修好通商条約締結 ペリー来航前より老中・安倍正弘は、幕政の改革の必要性を感じ着手します。この改革を安政の改革と呼ばれ、幕府三大改革の享保の改革、寛政の改革、天保の改革に次ぐ改革とされています。

尊王攘夷運動の高まりと吉田松陰

ペリーの黒船来航以降、相次ぐ異国船の来航やそれに伴う摩擦とアヘン戦争・アロー戦争での清国の敗北は、日本の外交姿勢を根本から変える出来事でした。 公武合体に至るまでの幕末初期は、幕府を中心とした【開国派】と朝廷を中心とする【攘夷派】の対立とし…

戦国時代のある技術が大塩平八郎の乱に繋がった??

古今東西、戦争によって技術が発展することはよく言われています。インターネットにデジタルカメラ、携行保存食、電子レンジに航空産業、果ては鉛筆まで様々です。 それは日本においても例外ではありません。戦国時代に培われた技術が江戸時代に形を変えて普…

大江戸八百八町はごく一時期だけだった!!

江戸時代、将軍のおひざ元で実質的な首都でもあった江戸の町は、100万人の人口があり世界一の都市だと言われています。 しかし、実際には当時の江戸の人口の正確な数字は良くわかっていないません。

肥前の妖怪・鍋島直正を見てみよう

明治維新の功労藩の名を表す『薩長土肥』の『肥』は『肥前』すなわち『佐賀』を指しています。その中でも『肥前の妖怪』という二つ名を持つ鍋島直正は希代の名君としても知られています。 今回はそんな佐賀藩の取り組みと蘭学狂いとまで言われていた鍋島直正…

幕末に起きた経済面での大混乱とは??

大きく政治制度が変わった明治維新。そのきっかけが黒船来航だったのは有名な話です。ですが、黒船来航がすぐに攘夷へと繋がった訳ではありません。 態々生死をかけて既存の体制を壊すその裏には大抵「貧困ゆえの食糧不足」や「生死にかかわる弾圧」なんかが…

わかりやすい徳川幕府15代将軍のまとめ

江戸時代は、263年に渡り15人の将軍が日本を治めていました。 全てを覚えるのは難しいかもしれませんが、簡単に15人の将軍をまとめてみました。

鎖国政策中の江戸時代の日本でも数学力は世界トップレベルだった!?

現代でもわが国の数学は、トップクラスでたくさんの数学者がいます。 現在、私たちが学習してきた数学は、明治時代にヨーロッパから入ってきたものです。 では、それ以前の時代にはたいした数学知識がなかったのか?思いますが、違うようです。 実はわが国日…

江戸時代の識字率は、世界のどこの国を見てもダントツに高かった!!

江戸時代の鎖国政策により、世界的な産業革命に遅れをとった我が国ですが、明治時代の富国強兵により瞬く間に世界に追い付き、経済力でもヨーロッパ諸国に肩を並べ、軍事面では、日清、日露戦争に勝利するまでの力をつけました。 rekishi-note.hatenablog.co…

実は早馬より早駕籠の方が早かった!?

江戸時代の交通手段は、自分の足で歩くか、駕籠に乗るか、馬に乗るかでした。 この移動手段でどれが一番早いかと聞かれたら、ほとんどの人は馬と答えることでしょう。しかし、人を乗せて長距離を移動すると考えた場合は、単純に早駕籠よりも馬の方が早いとは…

理想的なエコな暮らしは江戸に学べ!

近年、環境問題は深刻なものとなり、エコロジー、リサイクルなどは私たちの生活のなかでも当たり前になってきました。 そんな環境について意識が高まってきた今日この頃、現代のわたしたちの見本となるのが江戸の暮らしです。

徳川家康も教訓にした、平清盛の最大の失敗!?

保元の乱の後、武士勢力が台頭してきました。その武士勢力の2大勢力が平氏と源氏で、いわばライバルでした。 最初に頭角を現してい来るのが平清盛率いる平氏一門。しかし、清盛はこの時、自らを滅亡へと追いやるミスを犯します。源氏の嫡男である源頼朝を処…