日本史が好きになる?歴史ブログ

このブログを見て、少しでも歴史を好きになるお手伝いができれば良いと思います。

【人たらし】豊臣秀吉の天下統一の秘策は、最強の人心掌握術にあった!!

長い日本の歴史を見ても、豊臣秀吉のように農民の出から最後は関白まで大出世をしたのは、そうそういないでしょう。 その秀吉には、何か人より長けたところがあったのでしょうか? 強大な軍隊を持っていたからでしょうか? 莫大な経済力があったからでしょう…

豊臣政権が崩壊した理由を検証

織田信長が天下取りへの道筋をつけ、豊臣秀吉が天下人として成就させ、徳川家康が天下泰平の世を築いたのはみなさんご存じの通りです。 織田信長の子孫は、信長の次男である信雄の子孫が旗本や藩主として江戸時代も残り、徳川家康の子孫はあらゆる分家に別れ…

3人の戦国武将に学ぶお金の稼ぎ方のマインド

お金を稼ぐために一番必要なモノ… 書籍などの様々なメディアには、才能・センス・人脈・努力が必要だと書かれています。たしかに、これらは無いよりもあった方が良いのですが、本当は心構えや考え方だったりします。 どんなにお金を稼ぐセンスがあっても、使…

戦国大名一番乗りに政権掌握していた三好氏とは!?

三好氏は、信濃源氏の一族で鎌倉時代の承久の乱以降、阿波守護となった阿波小笠原氏の末裔です。阿波三好郡を本拠地にしたことから、三好と名乗るようになりました。 室町時代には、阿波守護の細川氏の守護代を務め、戦国時代に入ると三好長慶が、管領の細川…

どうして名門武田氏は滅亡したのか?

どうして名門武田氏は滅亡したのか? 武田信玄を輩出した清和源氏の流れをくむ武田氏が、信玄没後10年で滅亡したのは一体どうしてなのか?? 今日は、そんな武田氏が滅亡した理由について考えてみました。

桶狭間の戦いは奇襲攻撃ではなく新しい説が浮上した!?

以前、織田信長はどうして今川義元に勝つこができたのか?と言う記事を書かせてもらいました。 その記事では、桶狭間で休息している今川軍を少数の織田軍が背後の山から奇襲攻撃仕掛け、勝利したと書きました。 rekishi-note.hatenablog.com

足利尊氏の肖像画がいつの間にか変わっていた!?

みなさんこの肖像画を御存じだろうか? わたしの様に数十年前に歴史の授業を受けた人ならお分かりだろうが、室町幕府初代将軍足利尊氏公と認識していた肖像画です。 黒い馬に乗った、人物はいかにも武士らしく子どもながらに、将軍だから強いんだろうなとイ…

戦国時代、最強軍師ランキング!

軍師と言えば、武将に仕えて戦略や戦術などを献言する参謀のイメージがありますが、このような軍師像は戦国中期に登場した新しい形のものでした。 それまでの軍師は、陰陽道などの占術に長けた【軍配者】であったと言います。出陣に際して吉凶を占い、日時や…

豊臣秀吉が朝鮮出兵をした本当の理由

農民出身の豊臣秀吉が織田信長の後を継ぐような形で天下を統一し、関白太政大臣にまで上り詰めた功績は歴史上賞賛に値します。 しかし、華々しい功績とは対照的に晩年秀吉が行った朝鮮出兵による文禄・慶長の役では、その出兵目的が史料的に明確にされていな…

難攻不落の小田原城の【後北条五代】100年の歴史

戦国時代、小田原城を本拠地に関東地方を北条氏が支配していました。 北条氏と言えば、鎌倉時代の歴代執権も北条氏でしたが、戦国大名の北条氏とは超が付くほど遠い血縁で、全く別物と区別されており、便宜上【後北条】と言われることが多いそうです。※ここ…

関東軍を通して見る第二次世界大戦

関東軍と言えば 張作霖爆殺事件 満州事変を独断で実行 ノモンハン事件 などが有名で、日中戦争の契機に繋がる事件に関わったことが知られています。 今回はそんな関東軍を通して見た第二次世界大戦について調べていきます。

明治天皇の功績とその生涯

2018年は【明治】の改元から150年に当たるそうです。 日本の歴史的にみても、明治時代は大きな転換期にあたり重要な時代でもあります。 と言うわけで今日は、明治天皇について書いてみたいと思います。

日本人はネアンデルタール人の血が流れていた!?

ネアンデルタール人とは、約40万年前に登場して約2万年前には絶滅したとされている人属の一種です。かつては、旧人として【ホモ・サピエンス】の先祖とされていましたが、近年の研究で直系の先祖ではなく、全く別の人種であると言う見方が有力になりました。…

織田信長の有名な政策は二番煎じだった!!

織田信長の政策・戦術には、どれも時代を先取りしたものとして評価されています。 鉄砲の活用・楽市楽座・関所の撤廃・石垣による城郭つくり・天主の建設・兵農分離・本拠地の移動など、挙げればキリがないほど出てくる信長の政策ですが、実はどれもが他の大…

豊臣秀吉は朝鮮出兵でも奴隷解放を行っていた!?

豊臣秀吉は、1592年に文禄の役、1598年に慶長の役と朝鮮半島へと兵を進めました。 この【朝鮮出兵】は、秀吉の耄碌が引き起こした突拍子もない思いつきという解釈がされる事が多いですが、実は用意周到なうえに、壮大な構想だったことが明らかになっています…

8月20日に起こった禁門の変とは?

本日のテーマは幕末好きならご存知の1864年8月20日に京都で起きた 会津や薩摩をはじめとする江戸幕府 vs 長州藩との武力衝突事件 禁門の変 について書きたいと思います。 ・・・と言いたいところですが、以前禁門の変と第一次長州征伐の記事で細かい内容を書…

明智光秀が織田信長を打ち取る動機とは?

前の記事では、本能寺の変は明智光秀の発作的行動で、単独犯だったと言う説を書いて行きました。※これもまた一つの説にすぎません。 今回はその続きで、どうして光秀は信長に謀反を起こすに至ったのか?という所に迫ってみたいと思います。

本能寺の変は明智光秀の単独犯行だった!?

1580年に本願寺討伐の責任を取らせる形で佐久間信盛親子を追放しました。 その時に、織田信長は19カ条からなる折檻状を記しました。 その一部を現代語でわかりやすく書くと… 一、佐久間信盛親子は、天王寺城に五年間いたのにもかかわらず、本願寺攻めの功績…

第二次世界大戦時の天皇・政府と軍の関係を見てみる

明治以降、日本は対外的な戦争を何度も経験しています。近代の歴史を調べていくと、何度も軍や軍の関係者が表舞台に立っているのが分かります。 近代の記事が多くなるにつれ、軍と政治の関係を書いておいた方が戦争関連の出来事について理解しやすいので置い…

蒙古襲来では神風は吹かなかった!?

蒙古襲来(元寇)と言えば、フビライ・ハーンを皇帝とした【元】が、1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2度にわたり攻めてきた日本侵攻作戦です。 当時最強と言われた元軍による2度の侵略で、元軍を追い返したのは【神風】のおかげと言われてきました。しか…

美男子の義経と醜い義経 ~二人の源義経~

平家を倒し、鎌倉の地に幕府を開いた源頼朝の弟・義経は、色々な逸話のある人物です。 rekishi-note.hatenablog.com その記述は様々で、美男子と言うものと醜いと言うものとで評価は分かれています。

魔将軍・足利義教による恐怖政治

日本史の授業で室町幕府の将軍は、初代・足利尊氏、三代・義満、七代・義政、15代・義昭の4人を覚えてさせられましたね。しかし、義満と義政の間の六代目にも有能な!?将軍がいました。 それは、足利義教です。 室町将軍15代を紹介した記事を書いた時にくじ…

日本で初めて本格的な奴隷解放をした豊臣秀吉

戦国時代、戦に敗れた側の人間の財産は奪われ、抵抗すれば殺され、生き残ったとしても奴隷として売られていました。世界的にみればこのような奴隷制度は、よく聞かれましたが、この日本でも数百年前までごく普通に行われていました。 この時代の足軽は、戦場…

藤原道長・頼通以降の藤原氏はどうなったのか??

平安時代の摂関政治は、藤原道長、頼通親子の代に頂点に達しました。 道長の死後、御朱雀天皇、後冷泉天皇の関白として50年も務めた藤原頼通でしたが、天皇の后にした娘が男子に恵まれなかったことや、刀伊の入寇・平忠常の乱、前九年の役などの内外からの事…

藤原北家・五男の藤原道長はどうやって出世をしていったのか?

平安時代の摂関政治の代表的人物と言えば、藤原道長です。 父・藤原兼家の五男として生まれた道長は、有力な兄たちがいたためさほど目立った存在ではありませんでした。ようするに、父は摂政として権力を握っていたが、有力な兄たちがいたため、出世の見込み…

絵で見る・律令制への道【乙巳の変】

絵で見るシリーズ『律令制への道』第2弾。前回は推古天皇・厩戸皇子(聖徳太子)・蘇我馬子の協力体制と蘇我氏全盛期についての話までしていたが、間が空いてしまったので前回の復習も取り入れながら簡単に流れを追って行こうと思います。

第一次世界大戦による大戦景気と米騒動

明治以来日本では、輸入超過の貿易赤字国で、日露戦争後は国家財政も危機的状況が続いていました。 rekishi-note.hatenablog.com しかし、第一次世界大戦によって状況が一変します。 rekishi-note.hatenablog.com

江戸時代の地方振興

江戸時代の政治制度は幕藩体制で、幕府は中央集権制をとり、藩は地方自治制度を取っていました。この頃の藩による地方自治は、現在のような補助金や地方交付金などは無く、その藩が必要とする経費は、全てその藩の物産振興によって賄われていました。 よって…

江戸の失業対策 ~江戸の牢人問題と由比正雪の乱~

江戸の文治政治の始まりの記事で、武士の失業について触れましたが、今回は少し掘り下げて書いてみたいと思います。 rekishi-note.hatenablog.com

江戸時代にも介護保険制度があった!?

現在、我が国では介護保険制度と言う、要介護状態の人が尊厳を保持して、自立した日常生活を行えるように必要な医療サービスや福祉サービス受けられるよう、認定を受けた人が給付を受けられるようになっています。