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わかりやすい徳川幕府15代将軍のまとめ

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江戸時代は、263年に渡り15人の将軍が日本を治めていました。

 

全てを覚えるのは難しいかもしれませんが、簡単に15人の将軍をまとめてみました。

初代:徳川家康(いえやす)

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織田信長豊臣秀吉に並ぶ戦国三英傑の一人。

豊臣秀吉死後、内大臣の家康が事実上トップになり、秀吉本人からも、【秀頼が成人するまで政治を家康に託す】と遺言があったため、五大老筆頭となります。関ヶ原の戦い後、1603年に征夷大将軍に任命されて幕府を開き、1867年の大政奉還に至るまでの264年間続く江戸時代を築いた人物。

武芸にも秀でていて、健康オタクなのは有名な話である。

 

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2代:徳川秀忠(ひでただ


家康は全て自分で決めた。秀忠はそれには及ばなかったが半分は自分で決めた。家光は全て重臣任せであった。】と評される事も。

1590年に、秀吉の妻子人質令を受けて、実質的な人質として上洛し、その後元服して、秀吉の偏諱を受けて秀忠と名乗りました。

関ヶ原の後、3人の息子のうち誰を後継者にするかを家康が考えていると、家臣の大久保忠隣が【乱世においては武勇が肝要だが天下を治めるには文徳も必要。知勇と文徳を持ち謙譲な人柄の秀忠様しかいない。】進言され、次期将軍を秀忠とした。

家康が将軍となって2年後の1605年に将軍職を秀忠に譲り家康本人は、豊臣家討伐のために、その後の人生を捧げました。

 

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3代:徳川家光 (いえみつ)

2代将軍秀忠と、浅井長政の娘・との間にできた子供。

老中・若年寄・奉行・大目付の制度を定めて、現職将軍を最高権力者とする幕府機構を確立させた。武家諸法度の改正で、参勤交代制と日本の鎖国制度を作ったのもを家光です。

 

余は生まれながらにに将軍である』はあまりにも有名な言葉です。

 

戦国時代を生き抜いた武将たちの話を聞くのをよく好み、御咄衆としてその大名たちを置いた。特に伊達正宗を深く尊敬して、外様大名としては異例の高待遇で接したとされています。

 

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4代:徳川家綱(いえつな)

父は第3代将軍徳川家光で、わずか11歳で将軍家を継承しました。

そのため、保科正之などの家光時代からの名臣たちのサポートで安定政権を運営していきます。外様大名などに一定の配慮をし、末期養子の禁止を緩和し、大名証人制度の禁止や殉死禁止令をだすなど、これまでの武力にたよった武断政治から文治政治への政策転換が行われました。

家綱には、男児がおらず家綱の死により、徳川将軍家の直系は断絶することになります。

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5代:徳川綱吉(つなよし)

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2代将軍・徳川秀忠の孫にあたる。初代将軍・徳川家康からみてひ孫。

幕府の会見監査のために、勘定吟味役を設置して、有能な小身旗本の登用を量りました。生類憐みの令が有名で、そのあまりの愚行に犬将軍とも言われいます。この評価の低さは、ドラマによるところが大きく、実は名君だったとも言われています。

 

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6代:徳川家宣(いえのぶ)
第3代将軍・徳川家光の孫にあたる人物。

綱吉時代の悪い方向へ進んでいった生類憐れみの令や酒税を即座に廃止するなど気概を示したため、庶民からの人気と期待は高かった。

柳沢吉保を免職し、甲府徳川家旧臣である間部詮房新井白石らを登用して文治政治を推進。新井のほかに室鳩巣ら多くの学者を招聘し、人材の登用に尽力したといわれる。

 

 

7代:徳川家継(いえつぐ)

第6代将軍・徳川家宣の四男として生まれる。4歳で将軍となり、わずか8歳で死去。

そのため、側用人に任せ先代の政策をそのままに政治を行いました。

生母、月光院と側用人間部詮房のよからぬ噂が絶えず、ドラマ大奥で有名な江島生島事件が起きたのもこの時期です。

家継の死により、徳川家光の系統が断絶になります。

 


8代:徳川吉宗(よしむね)

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暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗は、米将軍とも呼ばれています。

徳川御三家紀州藩第2代藩主・徳川光貞の四男として生まれる。初代将軍・徳川家康は曾祖父。

幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を行います。

政策の効果はさておき、江戸時代通しての名君の一人とされています。

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9代:徳川家重(いえしげ)

徳川吉宗の長男として生まれる。

生まれつき障害を持っていたとされていて、言語不明瞭につき父・吉宗や家臣たちは日々悩まされたようです。田沼意次が取り立てられたのもこの時代です。

実は女性だったという説もあるようです。

 


10代:徳川家治(いえはる)

父は第9代将軍・徳川家重で、幼少期から聡明で祖父の吉宗の期待を一心に受けました。吉宗が試供するまで、自身が教育・指導を行ったほどだそうです。

しかし、趣味没頭して暗愚扱いされることが多いが、実は無能だったわけではなく、やる気がないだけと言う説もあるようです。側用人田沼意次にほとんど丸投げしていたように感じます。

 

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11代:徳川家斉(いえなり)

御三卿一橋家の第2代当主徳川治済の長男。

先代で権威を振るっていた田沼を罷免して、松平定信を老中に任命します。

その定信が先頭となり、寛政の改革を行います。積極的に幕府財政の立て直しが図られ蒔いたが、厳格すぎたため、家斉は定信を罷免し改革をストップさせます。

将軍在位期間が50年と最も長いのが特徴。精力絶倫で50人以上の子供をもうけ、育てきれなくて家臣や大名に養子に出しまくっていた事でも有名です。

 

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12代:徳川家慶(いえよし)

家臣から意見を聞いても【そうせい(そのようにしろ)】と言うのみだったことから、【そうせい様】と呼ばれていたようです。将軍としては、いまいちだったようです。

政治のすべてを老中の水野忠邦に任せていたようで、天保の改革を行いました。

高野長英渡辺崋山などの開明的な学者を弾圧した事でも有名です。(蛮社の獄

 

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13代:徳川家定(いえさだ)

幕末の動乱期にもかかわず、就任直後から後継問題が浮上するほど体が弱く、将軍としての指導力を発揮することができませんでした。

天璋院篤姫の嫁いだ将軍と言った方がわかりやすかもしれません。

 


14代:徳川家茂(いえもち)

勝海舟を初め、幕臣からの信望も厚く、家茂死後にはこれを持って徳川幕府が滅ぶとも言われました。

甘いものが大好きで、これらの食べすぎで虫歯と脚気に悩まされたとされています。

この時代には、桜田門外の変安政の大獄など事件が起きています。

 

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15代:徳川慶喜(よしのぶ)

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御三卿の一橋家から将軍に就任。

文武に秀でているとされていて、禁門の変では自らが御所守備軍を指揮して、鷹司邸を占拠した長州藩の軍を攻撃しました。

江戸城無血開城、1867年の大政奉還により江戸幕府に終止符を打った将軍として、歴史の教科書に載っています。

その後の明治34年には、貴族院議員にもなり政治に携わることにもなります。

大正2年に77歳で死去、歴代将軍としては最長命でした。

 

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15人全てを覚えるのは、なかなか難しいかもしれませんが、この時代で一番重要な将軍は、初代家康、2代秀忠、3代家光、5代綱吉、8代吉宗、15代慶喜は教科書に必ず載ってますので、この将軍はどんな政策をしたのかは覚えておいた方が良いでしょう。