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【北条早雲】下剋上への道 其二 伊豆討ち入りと戦国時代の幕開け

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北条早雲、伊豆へ侵攻

室町8代将軍・足利義政が対立していた古河公方への対抗策として、幕府側から正式な鎌倉公方として足利正知を送り込みますが、鎌倉には入ることが出来ず、伊豆の堀越に本拠地を構えることになり【堀越公方】と呼ばれるようになりました。

しかし、応仁の乱以降幕府自体の権力は衰退して、堀越公方らは単なる領主化としていました。

 

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一方で興国寺城主となっていた北条早雲(伊勢盛時)は、次男北条氏時が生まれて順風満帆な人生を送っていました。そんな時に、伊豆では堀越公方家督争いがおこります。

この内紛に1493年頃11代将軍・足利義澄の長男の討伐命令を受け伊豆へ侵攻します。この伊豆入りをきっかけに戦国時代が幕開けとされています。

同じ頃に、北条家5代に仕えることなる北条幻庵が誕生しています。

この伊豆攻めには、今川本家も援軍に駆けつけており、今川家と伊勢家による協力関係の下、支配領域の拡大を行っていくことになります。

 

1495年に早雲により伊豆の平定が達成されて、居城を韮山城(現伊豆の国市)に移すと、伊豆の統治を開始します。

 

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伊豆の統治

伊豆に入った早雲は、領内にお触れを立てて【味方に参じれば領土安堵】と約束しますが、【参じなければ作物を荒らして住居を破壊する】と布告するものの、兵への乱暴狼藉を厳重に禁止をして病人の看護をするなどの善政を施します。

 

当時は、どこの国も重税を行っており、五公五民なら仁政と言われて、ひどい国では七公三民を取っている所も珍しくなかった言います。伊豆国も重税に苦しめられており、早雲は重税を廃止して【四公六民】に税を改めると領民は歓喜に沸いたとされています。

 

この善政により伊豆の武士や領民たちは早雲に従い、高橋将監や村田市之助、山本太郎左衛門などが早雲の家臣に加わりました。

 

こうして、伊豆国に善政を敷きながら、5年の歳月をかけて伊豆地方の平定を行いました。伊豆の平定事業と並行して相模国への進出を図っており小田原城の奪取へと勧めていきます。

 

 

小田原城奪取

関東では内山上杉家の上杉顕定(関東管領)扇谷上杉家上杉定正が争う【長享の乱】が勃発しており、扇谷上杉家は早雲に接近していました。

 

1494年上杉定正の家臣である西相模の小田原城城主・大森氏頼東相模の三崎城城主・三浦時高が亡くなり両家とも家督争いが起こります。この混乱に乗じて、上杉定正は早雲を味方につけて上杉顕定と戦いますが、対象の上杉定正が落馬して死去してしまします。

 

扇谷上杉家は養子の朝良に継がせましたが、古河公方足利成氏上杉顕定に味方したために、扇谷上杉家は衰退の道を辿ります。

 

 

ここからよいよ小田原城奪取に向かっていくのですが、元々小田原城は味方側の扇谷上杉家の家臣・大森藤頼の居城となっています。これを早雲がだまし討ちをして小田原城を奪い取ったとされていますが、近年の研究で、大森藤頼が山内上杉家に寝返ったためではないかとも言われています。

 

確定された書が残っていないので小田原城奪取の経緯は定かではありませんが、1501年時点ではすでに早雲が小田原城を所有していたのは事実みたいです。

 

大森が裏切ったのではないとしたら、伊豆国を平定をなした早雲の実力を買って、扇谷上杉家の朝良の黙認の下、自分の家臣である大森を攻めさせて実質、小田原城を与えたのではないかとも考えられます。

事実、早雲の軍事的支援を受けていた上杉朝良は、顕定に奪われていた相模の諸城を取り戻しています。

 

 

立河原の戦い

長く続いていた長享の乱1504年立河原の戦いで決着がつきます。

山内上杉家の顕定は、扇谷上杉家の朝良の拠点である河越城へ攻撃します。朝良は、早雲と今川家に援軍を求め、河越城で籠城をします。そこで、顕定は江戸城を攻撃するために兵を進めていきます。

 

援軍要請を受けた早雲と今川家は関東へと兵を進めます。

これを知った朝良は、大森式部大輔に書状を送り、甲斐守護・武田信縄への援軍を養成します。この大森は、小田原城城主の大森一族とされているようですが、この時点では扇谷上杉家に転向して世話になってたのではないかと言われています。※諸説あり

 

この戦いで、今川家と早雲の助けをもらった朝良は、上杉顕定に勝利しました。

しかし、顕定は越後守護の弟と守護代に協力を得て反撃に出ます。河越城に追い込まれた上杉朝良は、降伏し帰順することになります。朝良が顕定側についたことにより、早雲らは、上杉両家と敵対関係になってしまいます。

 

しかし、この降伏により一連の戦いが終結しました。

 

そして、着々と相模平定をしていくことになりますが、続きは其三で書いていきたいと思います。

 

 

 

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