日本史が好きになる?歴史ブログ

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日本の小麦の伝来とパンの歴史

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パンの原料となる小麦が歴史上に登場したのは約9000年前の事です。

 

その小麦から作られたパンは、貴重な食料として古来より神様の贈り物として、日々の食事はもちろん、お祝い事などにも用いられていたそうです。

 

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紀元前に、古代エジプトがいち早く小麦の栽培を始めたとされています。世界初の発酵パンがエジプト文明で誕生しました。それまでは、無発酵の生地を使ったクッキーのような固いパンが作られていたそうです。

 

発酵したパンの発見は偶然の産物で、誰かが作り置きしていたパンの生地に空気中の酵母菌が付いてふくらみそれを焼いたところ発酵パンが出来上がったとされています。その後、各国の貿易が盛んになり、小麦の産地がヨーロッパ全土に広がるにつれて、パンの製法も広まって行きました。

 

紀元前5世紀~4世紀ころの古代ギリシャでは、人口増加による食糧不足を解消するために、エジプトから穀類を仕入れていました。その際に、パンの製法やパン焼きが一緒に伝わったとされています。その古代ギリシャでは、発酵パンの安定生産に成功しています。これは、名産のワインに理由があり、パンもワインも同じ発酵食品で酵母が命です。要するに、パンのイーストが伝わる前から酵母のノウハウがあったのです。

やがて古代ギリシャ古代ローマに支配されていくと、パンも古代ローマ支配下で新しい発展をとげることになります。

 

古代ローマは勢力拡大のために、長い時間をかけて多くの戦争を行いました。そのローマ軍の食料を支えたのがパンで、多くの兵士たちがパンを消費していきました。この大量消費がパンの生産技術の向上に一役買って、今とさほど変わらない製パン技術があったとも言われています。

 

 

ローマ帝国が滅亡した後のヨーロッパでは、各地で勢力拡大の争いが起こり、新しい国家も次々と誕生します。こうした国々では、自国の文化の育成が進められて、その影響は主食であるパンも受けます。

キリスト教社会であった中世ヨーロッパでは、キリスト教エスの肉とされるパンを重要視して、パン文化は教会や国の保護を受けてさらに発展をします。パンの技術者かの育成から就職までをシステム化して技術者たちの組合制度の基礎ができたのもこの頃でした。

 

 

大航海時代には、アジアやアフリカ、アメリカなどの世界中にパン文化をもたらすことになります。特に新大陸アメリカでは、昔からの伝統にとらわれることのなく、砂糖や油脂などを使ったゴージャスなパンも誕生して、パンの生産の合理化や量産化もしていきました。

こうしてパンは、様々な時代や国の文化に影響されながら現在のように世界中で食べられるようになったのです。

 

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日本のパンの歴史

世界のパンの歴史について触れたところで、わが国でのパンの歴史を書いて行きます。

日本で小麦の栽培が始まったのは弥生時代で、パンの原型と言われる、小麦を練って作られた蒸餅や焼餅と言う食べ方が中国から伝わりました。この頃は、まだまだ発酵したパンは食されていいなかったようです。

 

日本で発酵したパンが登場するのは、1543年鉄砲伝来からになります。

 

種子島に漂着したポルトガル船により、日本に鉄砲が伝来しました。それと一緒に、パンの伝来したとされていて、イエズス会の宣教師たちのキリスト教の布教と共に、パン食の普及も始まりました。

この頃いち早く南蛮文化を取り入れていた、織田信長が固いパンの一種【ビスコート】を食べたと言う記録が残っています。しかし、実情はパン食の普及の必要性は、日本人ではなく、来日してきた貿易商や宣教師たちが必要だったそうです。

こうして一時、日本にパンが伝えられたのですが、1587年のバテレン追放令によるキリシタン弾圧や鎖国政策によりパンはしばらく表舞台から姿を消すことになります。

 

日本でパンが再び姿を現すのは、1840年アヘン戦争がきっかけです。清に圧勝したイギリス軍が日本にも攻め込んでくるのでは?と当時の権力者たちは、イギリス軍を迎え撃つために準備をしていました。そこで軍部は、とぎ汁や炊飯の煙が出る米より、パンの方が携帯食に便利と考えて、製パン設備を作り大量生産を始めました。日本人による日本人のためのパンの製造はこの時初めてだと言われています。

 

 

明治時代になり、西洋文化が急速に浸透していった日本は、パン文化も本格的に普及していきます。明治2年には、日本に現存する最古のベーカリー【木村屋総本店】が開業し、ここでアンパンが誕生して明治天皇に献上されました。

 

このアンパンは、ガス灯と並び【文明開化の七つ道具】とも言われて、人々の人気を集めました。また、パンとミルクの西洋風の食事は栄養価が高いとされて、明治初期の軍隊でもパン食が採用され、パン食文化は日本中に広まっていきました。

 

第一次世界大戦では、敵国であるドイツ人の捕虜が日本各地に収容されたことにより、ドイツ式のパンの製法や焼き釜が伝えられたそうです。この時、同盟国だったアメリカの影響もあり、砂糖やバターたっぷりな菓子パンも普及しました。第一次大戦勝利の好景気で、製パンの機械化やイースト培養の工場も建って、パン食文化は日本で広まりを見せました。

 

しかし、第2次大戦では、原料不足などで日本人にもパンにとっても暗い時期を迎えます。終戦直後は、食糧難に悩まされた日本ですが、アメリカからの物資援助で大量の小麦が届けられるようになり、パン作りも復活します。

 

戦後復興途中の日本では、欧米文化が豊かさの象徴だったため、ライフスタイルの洋風化が進み、パン食も人々の暮らしに浸透していきます。そして、現在では日本の製パン技術とパンの種類は世界一と言われています。日本に発酵パンが伝わってから4世紀半余りですが、今やパンは私たちの生活の一部になっています。