日本史が好きになる?歴史ブログ

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魔将軍・足利義教による恐怖政治

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日本史の授業で室町幕府の将軍は、初代・足利尊氏、三代・義満、七代・義政、15代・義昭の4人を覚えてさせられましたね。しかし、義満と義政の間の六代目にも有能な!?将軍がいました。

 

それは、足利義教です。

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室町将軍15代を紹介した記事を書いた時にくじ引き将軍と紹介した将軍で、決して長命ではありませんでしたが、太く短いその生涯は壮絶でした。

rekishi-note.hatenablog.com

足利義教は、くじ引きによって六代将軍となるわけですが、兄である4代将軍・義持の息子、5代将軍の義量の早世と自身が亡くなる前に、【どうせ自分が死んだら勝手に将軍決めるんでしょう?だから勝手にやって~】言ったみたいで、次期後継者を指名しておりませんでした。

 

後継者をあげても自分が死んだら残った人間の良いようにされるのが、世の常でわからなくもないですが、幸い当時の管領畠山満家達の室町幕府の中枢たちは出来る人たちで、【石清水八幡宮で出家している、弟四人の名を書いたくじを引いて決めよう!】となったのです。

 

くじによって将軍職が決まった事によって、現代の我々にとっては何か軽んじられる印象を受けますが、この頃の人たちにとっては、神・石清水八幡宮に選ばれたことはむしろ絶対的な意味を持っており、義教の権威付けに大きなプラスとなりました。


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将軍になった義教は、幕府内で権力を絶対的なものとしていた【管領】の権限を抑制し、経済面では【勘合貿易】の再開をし財政基盤を強化しました。

軍事面では、将軍直轄の奉公衆の整備により独自の軍事力を握って、将軍となったわずか13年で関東と九州を平定します。北は奥州~南は琉球までを勢力範囲として、比叡山までも屈服させました。

 

義教のすごい所は、この決定権を全て自分に集中したことでした。

独裁的に政治を行った事で、些細な事でも厳しい処罰を与える恐怖政治にもなっていきました。例えば、儀式の最中に笑みをこぼしただけで所領を没収したり、比叡山攻めの噂をしただけで斬首された商人もいたそうです。

他にも、関白・近衛忠嗣や公家、神官、僧侶等数百人も処分してますが、その罪状のほとんどが些細なものでした。

 

そんな政治手腕から魔将軍とも呼ばれており、伏見宮貞成親王は【看聞日記】で義教の行いを【万人恐怖】と書き残したほどでした。

 

そんな義教の最後はあっけないもので、1437年頃に赤松満祐が将軍に討たれると言う噂が立ち、これを恐れた満祐が自宅に招き入れ将軍を暗殺します。以降、将軍家はその権力を徐々に失い、応仁の乱へと向うことになり、足利将軍家は二度とその絶対的な権力を持つことはありませんでした。

 

 

最近では、足利義教が再評価される所もあり、【比叡山の焼き討ちや大名統制などは義教が着手して信長・家康が完成させた】とも言われいます。

また、足利義満が成しえなかった【九州平定・関東制圧】によって室町幕府最大領土を獲得し、絶対的権力による国内の安定と平和が完成される直前の暗殺で、たらればがあるならば、応仁の乱は起こらなかったかもしれませんね。

 

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