日本史が好きになる?歴史ブログ

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絵で見る律令制への道【壬申の乱以降】

イラストシリーズ『律令制への道』第4弾です。 

前回は壬申の乱の勃発したところで終了したので、その結果から始めていきます。

 

rekishi-note.hatenablog.com

 

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壬申の乱について見ていこう

 

壬申の乱では、既得権益側だけど敵の多い父(=天智天皇を持つ大友皇子天智天皇の弟で元皇太弟の大海人皇子が戦っています。

 

天智天皇にどのくらい敵がいたかというと、朝廷軍と大海人皇子軍の集まった兵の数を見ると一目瞭然です。

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歴史の中で既存勢力に対抗する勢力が出てくるようなことは何度もありますが、抵抗勢力として集まった人数が最初からほぼ同人数なんて事はかなり稀です。日和見していた勢力が情勢を見て徐々に増えていくケースはあると思いますが。

 

 

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天智朝の時点での反対派だけでなく

  

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こういう考え方の層が戦う前の時点で数多くいたために大海人皇子軍がとんでもない人数に膨れ上がったと考えられます。

 

同じ位の戦力で勝利しやすい勢力は…というと、武器が高性能だったり士気が高かったりする方です。武器の性能については正直分かりませんが、豪族たちが二分したことを考えると特に大きな差はないと考えられます。

 

そうなると士気の高さが戦いの結果を変えていくことになりますね。

既存勢力と抵抗勢力だと、その目的が違います。目的が明確にある抵抗勢力の方が軍をまとめやすく士気を上げていきやすい。

 

 

そんな訳で、壬申の乱では抵抗勢力である

大海人皇子(弟)

の勝利に終わりました。

 

なお、天智天皇の忠臣で既に亡くなっていた中臣鎌足(死の直前に藤原姓を賜る)の後に中臣氏を纏めていた中臣金は大友皇子側についています。その子孫たちは流罪されています。

 

鎌足の息子は?と思われたことでしょう。

実を言うと、鎌足の息子は長男が既に鬼籍に入っていた・次男はまだ幼く13歳で壬申の乱とは無関係ということで難を逃れています。

 

これが後の歴史に大きな影響を与えるのですが、また別の機会に書いていきましょう。

 

 

天武天皇の即位と執政

 

壬申の乱で勝利した大海人皇子天武天皇として天皇に即位します。天智天皇の時にも既に中央集権国家を作ろうという動きがありましたが、天武天皇になった事でその動きはさらに加速します。

 

具体的に言うと

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・・・以上のような方針を立てたのですが、天智天皇の弟ということで結構なご高齢。

特に内政は一朝一夕で出来るような内容ではなく、天武天皇の皇后で天智天皇の娘・鵜野讃良(うののさらら)持統天皇として即位し受け継いでいきます。

 

なお、上の『豪族支配の私有民を解放し朝廷の管理下に置く』ことは後の律令制度の根幹である 班田収授法 に繋がります。朝廷が住民をしっかりと把握しといて税金逃れを防ごう、という意図からです(天智朝でも私有民の解放はあったのですが、当然ついてくる豪族からの猛反発によって私有民の解放を中止しています)

 

遣唐使中止に関しては大国としての体裁を整える意味だけでなく、壬申の乱で味方してくれた層に対する配慮かな?とも考えられますね。その反面、新羅に対しては積極的に交流し文化を摂取しています。

 

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天武天皇の政治を引き継いだのは・・・??

 

上でもチラッと書きましたが、天武天皇亡き後を継いだのは持統天皇です。

 

本来なら天武天皇持統天皇の間の子・草壁皇子が跡を継ぐ予定でしたが、草壁皇子は若くして亡くなっており、孫にあたる珂瑠皇子(後の文武天皇もまだ幼く後継となることは難しい状況だったためです。

 

一応家系図を置いておきますね。

 

 

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この引継ぎが毎回上手くいっていたわけではなく、他の有力な後継者候補との対立がありました(イラストシリーズでも別に取り上げる予定です)

 

そんな状況下、天武天皇から引き継いだ政策が着実に実行されて行きました。

その一つが

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694年  藤原京への遷都

 

そして

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701年  大宝律令の制定  です。

 

律令とは、厳密に言うと違うけど現在で言う法律のようなもの。

 

 律・・・現在の刑法にあたる

 令・・・現在の行政法民法にあたる。行政組織や官吏の勤務規定・租税も記載

 

天武天皇の方針に書いてあるのは飛鳥浄御原令の準備ですが、天武天皇崩御後に服喪が明けて即位予定だった草壁皇子が亡くなったことで朝廷内が動揺するという事態が起きたことで、天武天皇の遺志を継いでいると明示する必要が出てきます。そういった理由から令だけが唐突に出されたそうです。

 

そんな経緯から、飛鳥浄御原令制定後に『令』も『律』も網羅した 大宝律令 が出来上がります。

 

こうして日本は律令国家としての道を歩んでいくことになったのです。

 

 

大宝律令の役職や制度に関する記事は以前のものでも図表を多用しているので、改めてイラストシリーズは書きません。気になる方は以前書いた記事をご覧ください。

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