日本史が好きになる?歴史ブログ

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歴代天皇を紹介しながら日本史の流れを追う

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日本最古の天皇といわれる神武天皇から今上天皇まで、128人の天皇が日本の歴史を見守ってきました。穏やかな人生を送った天皇もおられれば、波乱万丈の人生を送った天皇もおられます。

 

2019年4月1日に新元号も【令和】と発表になりましたが、今日は歴史の流れを追いながら、歴代天皇について書いていきたいと思います。結構長い記事になると思いますが、気長に読んでください。

 

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飛鳥以前の神話の時代の天皇

現在、初代天皇とされているのが神武天皇で第25代武烈天皇までは、実在したのか伝説なのかハッキリしていません。研究者の間では、神武天皇以外は実在する説第10代崇神天皇以降が実在する説15代応神天皇以降が実在説そもそも25代までは実在しないという説の4つが議論されています。

 

現在は第10代崇神天皇以降が実在すると言うのが有力な説とされています。

これは、死後に送られた贈り名が初代神武天皇と10代天皇が同じであることから、同一人物であることが考えられています。つまり、2代天皇から9代天皇は実在しなく、始まりは10代天皇からということになります。

 

第1代 神武(じんむ)天皇 第2代 綏靖(すいぜい)天皇 第3代 安寧(あんねい)天皇
第4代 懿徳(いとく)天皇 第5代 孝昭(こうしょう)天皇 第6代 孝安(こうあん)天皇
第7代 孝霊(こうれい)天皇 第8代 孝元(こうげん)天皇 第9代 開化(かいか)天皇

 

 

古墳をお墓に実在する日本の最初の天皇

3世紀~4世紀ころには、日本各地に王朝があり独自の政治が行われていた、大和政権の初期では、10代崇神天皇が即位していました。我が国初めて、天皇のもとに全国が統一された形となったと考えられています。

まだ、農業が伝わっていない地域に人を派遣し、その土地の人たちの暮らしを豊かにするために努めたのが崇神天皇といわれています。

 

以降、11代垂仁天皇、12代景行天皇、13代成務天皇、14代仲哀天皇、15代応神天皇へと引き継がれていきます。先述しましたが、この15代応神天皇から実在する説もあります。

 

続いて16代目が仁徳天皇です。

この天皇は人物としてではなくお墓(古墳)が非常に有名。教科書などでよく見かける前方後円墳仁徳天皇の陵です。大阪府堺市にある大仙陵古墳は、仁徳さんという名で人々に親しまれています。

 

この時代の応神天皇と仁徳天皇河内平野の水害を収めるために尽力しており、堤防を作ったり大きな水路を作ったり近畿地方の様々な地域に治水工事を行ったとされています。

第10代 崇神(すじん)天皇 第11代 垂仁(すいにん)天皇 第12代 景行(けいこう)天皇
第13代 成務(せいむ)天皇 第14代 仲哀(ちゅうあい)天皇 第15代 応神(おうじん)天皇
第16代 仁徳(にんとく)天皇

 

 

有力王族からの天皇

17代履中天皇から19代允恭天皇と続き、第21代雄略天皇になると考古学を根拠として存在が証明できる最初の天皇が登場します。続く22代清寧天皇から25代武烈天皇までは子供や兄弟に天皇が受け継がれましたが、武烈天皇が跡取りを決めずに崩御したため26代天皇はすぐに決められませんでした。

 

そこで、26代天皇として跡を継いだのが第15代応神天皇の遠縁にあたる継体天皇でした。これ以降に遠縁から天皇を迎えることがなく、現在の天皇家の血筋は継体天皇であると考えられています。

 

以降、27代安閑天皇から31代用明天皇までを古墳時代と呼ばれています。

第17代 履中(りちゅう)天皇 第18代 反正(はんぜい)天皇 第19代 允恭(いんぎょう)天皇
第20代 安康(あんこう)天皇 第21代 雄略(ゆうりゃく)天皇 第22代 清寧(せいねい)天皇
第23代 顕宗(けんぞう)天皇 第24代 仁賢(にんけん)天皇 第25代 武烈(ぶれつ)天皇
第26代 継体(けいたい)天皇 第27代 安閑(あんかん)天皇 第28代 宣化(せんか)天皇
第29代 欽明(きんめい)天皇 第30代 敏達(びだつ)天皇 第31代 用明(ようめい)天皇

※考古学を根拠として実在を証明できる最初の天皇

 

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女性天皇が流行った飛鳥~奈良時代にかけて

飛鳥時代に入ると、32代崇峻天皇が即位しますが、当時権力を持っていた蘇我馬子らにより暗殺されてしまいます。日本の歴史上、天皇が暗殺されるのはこの崇峻天皇だけだとされています。

 

その後、33代天皇として推古天皇が即位します。

日本で初めての女性天皇で甥である厩戸皇子を皇太子としてそばに置きました。

推古天皇と聞くと、十七条の憲法冠位十二階を制定した聖徳太子が有名ですが、現在では蘇我馬子が大きく関わったと考えられています。当時、天皇の外戚達が政治に口出しすることも多く、何かと便宜を図ることもあったようですが、推古天皇は身内びいきはせずに公平に政治を行っていたようです。

 

第32代

崇峻(すしゅん)天皇※1

587年 8月2日 ~ 592年 11月3日

第33代

推古(すいこ)天皇※2

592年 12月8日 ~ 628年 3月7日

※1臣下の命令により暗殺された唯一の天皇

※2日本で初めての女性天皇

 

日本の歴史上、この時期は女性天皇が最も多かった時代でした。18人の天皇が即した中で、8人の天皇が女性天皇でした。中には、再任した天皇まで現れ前代未聞の即位劇が繰り広げられました。

 

34代舒明天皇~48代称徳天皇までがこの時代の天皇でしたが、このうち35代皇極天皇と37代斉明天皇、46代孝謙天皇と48代称徳天皇はぞれぞれ再任した天皇でした。

このように『一度退位した天子が再任すること』を重祚(ちょうそ・じゅうそ)といいます。

 

特に再任のパイオニアである35代皇極天皇は、これまで亡くなるまで天皇であり続けるという常識を覆し、史上初めて生前譲位を行った人物としても知られています。

 

 

34代~48代天皇の間には、とても大きな功績を残した天皇もいます。

34代舒明天皇、36代孝徳天皇に続いて即位した38代天智天皇天智天皇といえば大化の改新でおなじみです。中臣鎌足とセットで覚えた中大兄皇子と同一人物です。即位前の名前まで知られている天皇はそうそういませんね。

 

その後、39代弘文天皇、40代天武天皇、41代持統天皇、42代文武天皇と続きます。天武天皇天智天皇の息子大友皇子と皇位を争った壬申の乱が有名です。

 

45代聖武天皇の時代には疫病や災害が重なり、多くの国民が亡くなりました。仏教を深く信仰していた聖武天皇は仏教の力を借りた政治を行う事としています。聖武天皇は生涯をかけて国分寺や東大寺の建設を進め【奈良の大仏】を作り上げました。そして、時代が進み49代光仁天皇へと継がれ平安時代と入っていきます。

 

第34代 舒明(じょめい)天皇 第35代 皇極(こうぎょく)天皇 第36代 孝徳(こうとく)天皇
第37代 斉明(さいめい)天皇 第38代 天智(てんち)天皇※1 第39代 弘文(こうぶん)天皇
第40代 天武(てんむ)天皇 第41代 持統(じとう)天皇 第42代 文武(もんむ)天皇
第43代 元明(げんめい)天皇※2 第44代 元正(げんしょう)天皇 第45代 聖武(しょうむ)天皇※3
第46代 孝謙(こうけん)天皇 第47代 淳仁(じゅんにん)天皇 第48代 称徳(しょうとく)天皇
第49代 光仁(こうにん)天皇

※1 大化の改新を行った

※2 平城京へ遷都

※3 奈良の大仏を建設

 

平安京遷都で歴史の中心は京都へ

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小学生の歴史の授業でも教えられる、794年平安京への遷都、日本史の区切りとして、約400年に渡る平安時代の始まりです。この時代の天皇は、親兄弟、外戚などの色々な思惑などが入り乱れながら30人の天皇が即位します。

 

まず、平安京へ遷都を行った50代桓武天皇から始まりました。桓武天皇は、当時の天皇では珍しく自ら政治を行う親政を行った天皇でした。軍備を整え、まだ未開の地だった東北への侵略を行うために遠征を行い、唐から持ち帰った新しい仏教の教えを取り入れ、政治面と文化面において日本の発展に一役買いました。

 

その後の51代平城天皇、52代嵯峨天皇、53代淳和天皇と桓武天皇の子供たちが後を継ぎます。そして、56代清和天皇、56代陽成天皇と続くわけですが、この二人の天皇はのちに台頭する武士の先駆け清和源氏の祖である考えられており、どちらの天皇の血統であるか現在も議論されています。


60代醍醐天皇の時代に事件が起きます。

天皇は、当時の右大臣・菅原道真を太宰府へと左遷させます。その後、太宰府にて道真が亡くなったのですが、天皇の周りでは身内にも自身にも不幸が続き、道真の祟りと思われてもおかしくない事が次々と起きました。

 

第50代 桓武(かんむ)天皇※1 第51代 平城(へいぜい)天皇 第52代 嵯峨(さが)天皇
第53代 淳和(じゅんな)天皇 第54代 仁明(にんみょう)天皇 第55代 文徳(もんとく)天皇
第56代 清和(せいわ)天皇※2 第57代 陽成(ようぜい)天皇※2 第58代 光孝(こうこう)天皇
第59代 宇多(うだ)天皇 第60代 醍醐(だいご)天皇※3

※1 平安京へ遷都を行い親政を行う。臣籍降下した皇子の子孫が桓武平氏に。

※2 どちらかの臣籍降下した皇子の子孫が清和源氏に。

※3 右大臣であった菅原道真を大宰府へと左遷。歴史的な失策とされる

 

国風文化と摂関政治時代

986年に一条天皇が即位した時代は、清少納言や紫式部などの女流作家が多く出現し、その才能を開花させます。天皇の元に娘を嫁がせた貴族が娘の周りに有能な女性を置いて天皇が娘の元に通うきっかけになるよう仕向けていました。紫式部は藤原道長の娘の家庭教師役。一条天皇が源氏物語を聞きに紫式部のところに通うと道長の娘と接する機会も増えていきます。道長自身が紫式部のファンだったと同時に娘と一条天皇の関係を深めさせようという意図もあったのです。

 

こうして道長は権力を掌握していき、摂関家の藤原氏が67代三条天皇、68代後一条天皇~70代後冷泉天皇まで政権を掌握した時代が続いていくことになります。

 

藤原氏に外戚を持たない71代後三条天皇が即位すると、これまでの摂関政治のシステムを大きく改革し、天皇家が国の長として政治を行うように努めました。

 

第61代 朱雀(すざく)天皇 第62代 村上(むらかみ)天皇 第63代 冷泉(れいぜい)天皇
第64代 円融(えんゆう)天皇 第65代 花山(かざん)天皇 第66代 一条(いちじょう)天皇※1
第67代 三条(さんじょう)天皇※2 第68代 後一条(ごいちじょう)天皇※2 第69代 後朱雀(ごすざく)天皇※2
第70代 後冷泉(ごれいぜい)天皇※2 第71代 後三条(ごさんじょう)天皇

※1 清少納言や紫式部のような女流作家達が才能を開花した時代

※2 藤原氏が政治を取り仕切るように

 

上皇による院政の開始

後三条天皇により政治の中枢が藤原氏から天皇家へとシフトされていきます。

後三条天皇は天皇を72代白河天皇に譲り、自身は上皇として再び政治を行う院政を行うように。

 

後三条上皇が崩御すると白河天皇も譲位し、73代堀河天皇が立てられました。この時、堀河天皇が即位時まだ8歳であったこともあり、白河上皇が政治を行い続けました。

 

白河上皇が政治を行う中で、上皇専用の武士集団を作ったことにより平氏や源氏などの武士が力をつけていきます。その後、政治の世界にも武士たちが介入し始め、貴族政治の時代から武士の時代へと変化していきます。

 

74代鳥羽天皇~76代近衛天皇も譲位をし院政を行いました。

77代の後白河天皇も同じく上皇として院政を敷きますが、平清盛と政治的対立をしたため幽閉されてしまいます。

 

その後、清盛と縁の深い80代高倉天皇が即位。高倉天皇と清盛の娘間に子が誕生すると1歳4ヶ月の第81代安徳天皇に譲位。ところが、すぐに病に倒れ高倉天皇は崩御します。後白河上皇が再び院政を行うこととなりました。

 

第72代 白河(しらかわ)天皇 第73代 堀河(ほりかわ)天皇 第74代 鳥羽(とば)天皇
第75代 崇徳(すとく)天皇 第76代 近衛(このえ)天皇 第77代 後白河(ごしらかわ)天皇
第78代 二条(にじょう)天皇※1 第79代 六条(ろくじょう)天皇※1 第80代 高倉(たかくら)天皇※2
第81代 安徳(あんとく)天皇※3

※1 後白河天皇が上皇として政治を取り仕切る

※2 親政(自分で政治を行うこと)を実施

※3 1歳4ヶ月で即位。後白河上皇が再び院政を行う

 

 

後白河上皇を幽閉したり、自分達と縁の深い天皇を即位させたりと好き勝手している平家への反発は高まり治承・寿永の乱へと発展。平家一門と行動を共にしていた安徳天皇は壇ノ浦の戦いで母方祖母(もしくは母に仕えた女性とも)に抱かれ入水。崩御されました。

 

この後、治承・寿永の乱で活躍した源頼朝が東国の鎌倉に幕府を開いています

 

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鎌倉時代から戦国時代へ

82代後鳥羽天皇は、83代、84代、85代天皇の時代に上皇として院政を執り行い、当時実権を握っていた鎌倉幕府から権力を取り戻そうと承久の乱を起こしますが失敗。その結果、隠岐の島に流されその地で崩御されています。

 

その後、86代~90代までの鎌倉時代の天皇は、2つの家系から交互に即位させる(基本は10年ごと)両統迭立が特徴です。89代後深草天皇の血統は『持明院統』と呼ばれ、90代亀山天皇の血統は『大覚寺統』と呼ばれています。

 

91代~95代までそれぞれ天皇が続きますが、基本10年交代だったのが後醍醐天皇の異母兄でもある後二条天皇が在位7年で崩御。後二条天皇の子が幼年で病を患っていたこともあって96代後醍醐天皇が繋ぎのような形で95代花園天皇の即位の際に皇太子として立てられています。

 

この後醍醐天皇が南北朝の時代を作るきっかけとなっていきます。

 

第82代 後鳥羽(ごとば)天皇※1 第83代 土御門(つちみかど)天皇 第84代 順徳(じゅんとく)天皇
第85代 仲恭(ちゅうきょう)天皇 第86代 後堀河(ごほりかわ)天皇 第87代 四条(しじょう)天皇
第88代 後嵯峨(ごさが)天皇 第89代 後深草(ごふかくさ)天皇 第90代 亀山(かめやま)天皇※2
第91代 後宇多(ごうだ)天皇 第92代 伏見(ふしみ)天皇 第93代 後伏見(ごふしみ)天皇
第94代 後二条(ごにじょう)天皇 第95代 花園(はなぞの)天皇

※1 83代~85代まで上皇として院政を行う

※2 ここを境に両統迭立による天皇擁立が始まる

 

日本史上初の王朝が2つに分かれた南北朝時代

後醍醐天皇は元々間に合わせで即位していたため、即位の段階では自分の子供に天皇を継がせる事ができないようになっていました。しかし、後醍醐天皇も人の親。自分の子供を天皇にさせたいので、その権利を得るために鎌倉幕府に抵抗します。

 

一度目の討幕は失敗して隠岐に流されますが、倒幕の闘志は消えず本土復帰後に足利尊氏らの協力を取り付け鎌倉幕府を倒すことに成功。そこで、天皇による親政を目指した後醍醐天皇は 建武の親政 を始めます。しかし、武家を蔑ろにするような政治だったため協力者だった足利尊氏らの離反に遭い、足利尊氏室町幕府を開きます。そんな彼らの立てた天皇が即位したことで北朝が成立しました。

 

後醍醐天皇は負けじと奈良県吉野の地に南朝を開き、南北朝時代が始まりました。南北朝間の争いは幕府内部の争いとも絡まって全国的に広がります。この戦いで戦に必要な兵糧を確保するため一国を治める守護の権限が強まり、守護大名と呼ばれるまで成長しています。

 

現在では、南朝の2代後村上天皇、3代長慶天皇、4代後亀山天皇が正統な天皇家の血統と考えられています。これは、三種の神器を保有していたのが南朝で明治天皇により【南朝を正統とする】と言う宣言があったことからとされています。

 

第96代 後醍醐(ごだいご)天皇
  南朝初代 北朝初代 光厳(こうごん)天皇
北朝第2代 光明(こうみょう)天皇
第97代 南朝第2代 後村上(ごむらかみ)天皇
北朝第3代 崇光(すこう)天皇
北朝第4代 後光厳(ごこうごん)天皇
第98代 南朝第3代 長慶(ちょうけい)天皇
北朝第5代 後円融(ごえんゆう)天皇
北朝第6代 後小松(ごこまつ)天皇
第99代 南朝第4代 後亀山(ごかめやま)天皇
第100代 北朝第6代 後小松(ごこまつ)天皇

※ 光厳天皇は倒幕計画が露呈したため廃位された後醍醐天皇に変わって即位。鎌倉幕府滅亡により後醍醐天皇が復権したため、自身の廃位と光厳天皇の即位を否定した

 

室町幕府最盛期、足利義満の時代

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京都金閣寺

100代後小松天皇が即位した頃に南北朝が統一されますが、室町幕府3代将軍・足利義満の力が朝廷を上回っており天皇は飾りのような状態でした。ちなみに義満の時代には有力な守護大名の力を削ぐことに一旦は成功して室町時代の全盛期を築いていますが、その後は再度守護大名が権力基盤を広げています。

 

 

守護大名の権力を削ぐため宗家じゃない庶流に対しても守護職の地位を与えて守護大名の分裂を図るなどして対抗していきますが、度々反乱が勃発。戦乱が多く混乱が続くと、出自のハッキリしない農民や商人たちが社会的地位を上げていきます。こうして『下のものが上の者を凌ぐ』下剋上の兆しが産まれていきました。

 

そんな安定しない時代が続く中、とうとう103代後土御門天皇の在位中の1467年大名家の家督争いに将軍系の後継問題が重なった応仁の乱が勃発。応仁の乱を皮切りに戦国時代へと突入します。

 

第101代 称光(しょうこう)天皇 第102代 後花園(ごはなぞの)天皇 第103代 後土御門(ごつちみかど)天皇

※ 戦国時代へ突入し、天皇の権威が小さくなっていく

 

織豊政権化の天皇家

応仁の乱により日本全国が戦乱に巻き込まれ幕府の権威も失墜していきました。

さらに天皇を始めとする朝廷も疲弊し、財政難が慢性化して儀式もままならぬ状態に。このころの天皇は今までにないくらい地位が低く見られた時代となっていきます。104代後柏原天皇~106代正親町天皇までの戦国後期の天皇たちの在位中の朝廷の財政は苦しい状態でした。

 

織田信長豊臣秀吉の時代に天皇だった正親町天皇は、彼らの権力強化の道具にされた側面もありますが、経済面で援助を受けていたいたので、じり貧状態最悪の事態は回避できました。信長死去後は秀吉の後ろ盾になり、秀吉もまた天皇の権威を回復するために尽力したとされています。

 

第104代 後柏原(ごかしわばら)天皇 第105代 後奈良(ごなら)天皇 第106代 正親町(おおぎまち)天皇

※ 織田信長が天皇を支え、援助する。その後豊臣秀吉の後ろ盾となる

 

天下泰平の徳川政権下での天皇家

1586年に107代後陽成天皇が即位し、豊臣の世から徳川政権・江戸時代へと移りましたが、天皇権威回復に努めた秀吉とは違って 徳川家康 は天皇や朝廷の権威が強くならないような政治を行いました。

 

これまで朝廷側に官位や元号の決定権がありましたが、幕府が持つようになりました。108代~111代まで幕府が天皇や朝廷に対して干渉を強め、外出などの行動も幕府の許可が必要なほど制限を受けていました。

 

111代東山天皇の時代に王政復古を目指した動きを見せましたが、幕府から権威を取り戻すまでにはいきませんでした。その後も、114代中御門天皇は幕府との友好を図り、1735年に115代桜町天皇の時代になると、段々と尊王攘夷の動きが朝廷内外に表れ始めます。

 

119代光格天皇は朝廷での儀式復活に努め、積極的に政治に参加していました。

また、120代仁考天皇に譲位し上皇という称号を2019年5月1日に平成天皇が生前退位するまでは、最後の上皇としていました。

 

第107代 後陽成(ごようぜい)天皇※1 第108代 後水尾(ごみずのお)天皇 第109代 明正(めいしょう)天皇
第110代 後光明(ごこうみょう)天皇 第111代 後西(ごさい)天皇 第112代 霊元(れいげん)天皇※2
第113代 東山(ひがしやま)天皇 第114代 中御門(なかみかど)天皇 第115代 桜町(さくらまち)天皇
第116代 桃園(ももぞの)天皇 第117代 後桜町(ごさくらまち)天皇※3 第118代 後桃園(ごももぞの)天皇
第119代 光格(こうかく)天皇※4 第120代 仁孝(にんこう)天皇

※1 豊臣秀吉が倒れ、徳川幕府が開かれる。天皇の権威が弱くなる

※2 王政復古を目指した動きあり

※3 最後の女性天皇

※4 積極的に政治に参加。上皇という称号を最後にもらった天皇

 

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大政奉還による天皇親政が復活

121代孝明天皇が在位する頃は鎖国政策を止めるよう外国からの動きが広まり、朝廷と幕府の関係も大きく変わります。開国派の幕府と鎖国派の天皇の意見が合わず、平行線をたどりました。

 

幕末の動乱期、幕府以外にも長州藩や薩摩藩が台頭し、孝明天皇の影響力も次第に小さくなっていきました。122代明治天皇が即位し、薩摩藩・長州藩などから倒幕の動きが強まっていきます。討幕派と幕府側も朝廷を味方に引き入れようと動いていましたが、天皇は秘密裏に討幕派に勅令を下そうとしました。

 

勅令の動きを察知した幕府は、形式上の大政奉還を行い、建前上に政権を天皇に変化しましたが、幕府がまだ残っているため実験までは天皇に帰っていませんでした。そのため、討幕派や天皇は1868年王政復古の大号令をもって新政府を設立し、幕府を抑え込もうとしました。

 

これに反対した旧政府軍と新政府軍で戊辰戦争が起こります。この戦いの結果、新政府軍が勝利し、江戸幕府が解体されていきます。

 

第121代 孝明(こうめい)天皇

※ 鎖国を止め広く開国する動きが始まり、朝廷と幕府の関係にも大きく影響

 

文明開化から近代国家への道

794年の平安京遷都以来、天皇の御所は京都にありましたが、明治天皇が東京へ御所を移し、それ以来、天皇御所は東京になっています。明治天皇は、日本の象徴であることを強く自覚し、国民からも尊敬される存在でした。

 

文明開化で食生活や服装などの文化の変化を進んで取り入れ、常に国民の先頭に立つように努めたそうです。天皇は、新政府設立後に自らが政治を執り行う親政を放棄し、内閣からの要請がない限り閣議には参加しておらず、立憲国家としての日本を作り上げました。

 

現在と同じ、一世一元制を取り入れたのは明治天皇の時代からでした。

 

明治天皇の崩御とともに123代大正天皇が即位します。

大正天皇は、これまで続いていた一夫多妻制である側室制度を廃止し、皇后ただ一人と婚姻関係を結びました。それでも子宝に恵まれ4人の親王をもうけています。大正10年ころから体調の悪化により政務がままならなくなり、事態を重く見た政府と関係者の意向もあり当時皇太子だった124代昭和天皇が摂政として天皇の政務を代行するように。

 

第122代 明治(めいじ)天皇※1 第123代 大正(たいしょう)天皇※2

※1  戊辰戦争に勝利し江戸幕府が解体。794年平安京遷都以来となる遷都で東京へ

※2 明治天皇まで続いた一夫多妻制である側室制度を廃止

 

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戦争の昭和と災害の平成

大正12年(1923年)の 関東大震災 で大きな傷を負った日本でしたが、1926年に124代昭和天皇が即位します。天皇本人は自身が政治に介入することは慎重で、専制君主制ではなく日本は立憲国家の君主である事を望んであたようです。

 

戦前も戦後も外交の場面では、日本国の象徴として全国を回っていました。

崩御する数年前から体調が悪く、日本国天皇としては初めて開腹手術を受け、公務の復帰に意欲を見せておられましたが、1989年1月に崩御。

記録が残っている天皇の中では最も長寿で87歳でした。在位期間も62年という最も長く、戦争・敗戦、復興・高度成長期などの激動の昭和を過ごされた生涯でした。

 

そして、125代今上天皇ですが、この名前は陛下自身を指すのではなく、【現在在位中の天皇】と言う意味で表現されます。天皇の名前は崩御か譲位後に授かるため、在位中は【天皇陛下】や【今上陛下】と呼ばれるのが正しいとされています。

 

今上陛下は、初めて民間から皇后を迎えられた天皇です。

その皇后とともに積極的に外交の場にも出席されて、80歳を迎えられるまで年間200回もの国内外の行事に御出席されています。また、年間1000枚以上の書類にも目を通し、署名・押印をされるなどのご公務もこなされています。

 

ご高齢のため、体調がすぐれない日もありますが、御所での行事などの際には私たちに姿を見せてくださり、その笑顔は日本の象徴そのものだと思います。

 

第124代 昭和(しょうわ)天皇※1 第125代 今上(きんじょう)天皇※2

※1 第二次世界大戦後、象徴天皇制に移行

※2 初めて関東で即位の儀式を行われた天皇

 

 

最後に… 

現在の天皇家は、日本の歴史を見てきた唯一の一族とも言えます。

全員は紹介しきれませんでしたが、ざっくりではありますが1代~125代までの天皇を紹介してきました。2019年5月1日に、今上天皇が退位なされ新しい、令和時代の天皇が即位されます。

 

平成はわが国に戦争こそありませんでしたが、災害が多く景気もあまりよくない時代でした。唯一、平和だった事がよかった時代だと思います。新しい天皇の下【令和】時代も争いのない平和な時代であることを願いたいと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。